日野サムライの車検失格について
日野自動車工業(株)は1966年(昭和40年)当時、技術の挑戦の場として積極的にGTプロトの開発に続いて、対米輸出を進めるためにピート・ブロックとチーム・サムライを結成しコンテッサ1300クーペで米国西海岸を中心にセダンレースに積極的に参戦していた。その2台のコンテッサのボデーに「いざ征かむ、めにものみせん、青い目の大和魂、コンテッサ駆り」と「先陣は我がコンテッサ、青い目の大和魂、手綱さばいて」と描き、打倒ミニに燃えていた。
(SE)