|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
日野サムライの車検失格について:サムライ・スピリットは何処に? 第4回日本GP(1967年5月)に向けて個人参加(実質上は非公式に日野自動車が全面的に支援。言わば、トヨタのサムライ買収工作を蹴って、日野への恩義とも思える大和魂でエントリー)で日本にやって来たチームサムライと日野サムライであった。しかし、車検であえなく失格、その後も課題点を改修出来ずにレースに出場することなく現場を去らなければならなかった。当時のオートスポーツ誌などを代表に様々なメディアで当事者であるピート・ブロック側の意見を前面にした日本のレース運営の未熟などが伝えられた。しかし、それは事実を伝えてないと考える。ピート独特のメディアとのコミュニケーション術の巧みさがあったのではと推測する。そこには残念ながら『サムライ・スピリット』は見ることは出来ない。 それは以下の理由と見る:
以上を考えれば、日本レース界への批判はむしろ逆であり、当時の日本レース界を甘くみていたと批判されてしかるべきだろう。クルマは走ってナンボの世界であり、走らないレースカーは1/1のスケールモデルであり、美しくもない。 『検証』として、これはデザイン上は美しいとコンセプトの評価出来るものの、ちゃんと競技出来るレベルにない競技車両を持ち込んだだけであり、一方向だけの歴史上の伝説を残したことを改めなければならない。特に外人に弱かったメディアもしかりであり事実を歪み無くスタディをすべきであったと考える。それは歪んだ伝説だけを語る今日でも同じである。 これでは単に他人の懐(日野が金銭的スポンサーだった)でクルマの造形美だけを誇示したに過ぎず、本気で競技をしようとする他の参加者に失礼ではなかったと思う。その意味で主催者の裁定、すなわち『本戦参加させず』は正しかったと考える。 実際、サムライはその後、2代のオーナーでまったく戦闘力は得られなかったのだ。4代目のプライベータであるオーナーの個人投資の血の滲む努力で戦闘力が備わったのである。ボディ形状はピートのそれであるが中身はすでに全く異なるものになっていた。 『サムライ・スピリット』は言い訳無用の世界であり、この将来有望な未完成のサムライを無傷で帰させた主催者側にむしろ『サムライ・スピリット』を感ずる。 以下の写真は現存する当時のサムライそのものに最終的に装着されたブリスカ用のオイルパンである。10cmの規定ロードクリアランスに達せす車検不合格の源となったオイルパン以上に深いものである。
(江沢 智、2007.8.30(改訂)、2007.4.15(オリジナル)) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||