1964年(昭和39年)の秋、東京モーターショーを前にして日野自動車工業は新型乗用車『コンテッサ1300』を発表した。それは壮大な起業家精神のもとに、戦後の復興・急成長の中でフランスのルノーの国産化以来蓄積した合理的なリヤエンジン方式のクルマ造りの技術と戦前の東京瓦斯電気工業以来の「ガス電気質」の塊をもって日本市場のみならず世界市場をねらったものだった。
日本は1950〜60年代、その後の経済大国への過程として、国民は日本の発展、会社の発展、そして生活の向上をめざしてひたすら猛烈に働いた時代だった。この間、早期に工業立国をめざして諸外国から技術導入や技術提携、更に外資から日本の成長を保護するための数々の政策が施されていた。貿易自由化や資本自由化などは、これらの環境での自由競争を進めるものであり、また、それは同時に阻むものでもあった。その中で日本のみならず世界的に評価された優れた工業製品が数多く生まれた。しかしながら、開発者のロマンに反して市場を制覇することなく消えざるを得ない運命があったものもあった。コンテッサ1300もその一つではないだろうか?
旧車愛好家は所有する愛車のデザインの素晴しさとかメカニズムの優秀性など、単に目にふれる部分に興味を持つことに陥りやすい。それはそれで否定するものでないが、もう少し過去のクルマが持つ文化的背景、経済環境を加味した作者、すなわち、メーカーないし開発者および関係者の厚き思い=ロマンを通じて、クルマに接して見たら更に造詣を深めることになると考える。特に日野コンテッサ1300には日本の自動車工業の発展史の中でその生死に運命的な部分があったのではないかと思う次第である。本シリーズはこれがどんなものであったのか追及するものである。