日野サムライの車検失格について
第4回日本グランプリも押し迫った1967年(昭和42年)4月末、コンテッサ1300クーペのGR100エンジンを搭載した流麗な空力ボデーのサムライプロトはピート・ブロックとともにロサンジェルスから日本にやって来た。しかし、グランプリレースでは8万余の観衆の待つ中、富士スピードウエイのトラックを1mも走ることなく去ってしまった。
(SE)