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挑戦 ! !  21世紀版コンテッサ伝説
(新春NRC鈴鹿ゴールデントロフィーレース:2005.1.16)


 2005/1/16.鈴鹿サーキット東コースで開催された新春NRC鈴鹿ゴールデントロフィーレース・ヒストリックスプリントレースは、あの日本レース史を語る上で欠かす事の出来ないポルシェ904が出場(それも2台)!するという話題で盛り上がっていた。

 このレースで、さかのぼる事40余年前:1964年第2回日本GPにおいて少年時代の憧れのレーサー:生沢徹選手が日本の誇るプリンス・スカイライン2000GT(S54型)を駆ってポルシェ904を一時的にでも抜いたという伝説のレースの再現(というより新たな伝説!)に挑んだ少年時代の夢を追い求め続けるひとりのアマチュアレーサーがいた。

 しかし、彼の駆るマシンはスカイラインではなく、やはり彼が少年時代から憧れ続け、つい最近レストア完成し熟成しつつある1966年式日野コンテッサ1300クーペL レーシング である。明らかに当時のスカイラインよりももっと非力であり、こんな小排気量マシンであの!ポルシェ904に挑むなどというのは、誰から見ても明らかに無謀で・・・イヤ、相手にされず笑い飛ばされるのがおちであろう事は百も承知で、彼もレース前はそんな野望は決して口に出さず、いつも通り「遅いクルマだから遊び半分で気楽に走るよ」とニコニコとうそぶいていた。ところが実は彼は心の中で、可能性は極めて低いながらも当時の憧れ:生沢徹の様に一瞬だけでも904の前に出るという勝算?があり、作戦を考えていた。

 彼は、かつて鈴鹿サーキットでAE86やRSによるレースを何戦か戦ってきた経験もあり、特にS字コーナーが主体となる東コースは最も好きなコースであるし、一方コンテッサは欧州のルノー譲りのリアエンジンレイアウト+4輪独立サスペンション、ラックアンドピニオン形式のステアリング等々を日野自動車の技術者達が夢を託して熟成させた、当時としては国産車離れした機敏な操縦性を備えていて(おそらくロングホイールベース化して無理矢理?6気筒ユニットを押し込んだスカイラインGTよりコーナーリング性能では勝っているのではないか?)、特に彼のレーシング仕様は、当時ピート・ブロック氏がテストを重ねて組み上げたレーシングサスペンションを新しいハイグリップタイアに対処した現代の技術を加味してレストアしたモノで、S字コーナーの速さには密かに自信を持っていた。

 そしていよいよ予選。前日に降った雨が乾ききらないセミウエットで、滑りやすい逆バンクではカウンターをあてながらも無難に走り、中段以降ではあるがそれ程ドベの方でもないマシンの性能を考慮すればまあまあのグリッドに着けた。改めてスターティンググリッドをみると、シルビア(CSP311)やPGC10スカイラインGT-R、ブルーバード510、トライアンフTR4、SR311等の1600ccオーバーのSクラス勢が速く、2台の内後方の904は何とコンテッサクーペL レーシングの3台前方である。

 ある程度操縦性は熟成しつつある コンテッサクーペL レーシング ではあるが、いかんせんアンダーパワー(おそらく出場車中ストレートは一番遅い気がする)で、昨年の経験では絶妙なスタートを切ったつもりでも、1コーナーまでに加速で置いていかれてしまった。しかし、1周してきてストレートに戻ってくれば、さらに前のマシンにはちぎられ、後のマシンには抜かれて・・置いて行かれる事は目に見えている。要するに性能に勝る上位クラスの前に出るには、みんながおそらくペースが上がらない1周目の1コーナー突っ込み〜最終コーナーまでのコーナーリング区間しかない! と、彼は1周目に賭けて密かに闘志を燃やしていた。

 フォーメーションラップでは、コーナーポストのオフィシャルの人々や後方のドライバーからは、ひんしゅくを買ったかもしれないけれど、わざとドリフトさせたりしてタイアに熱を出来るだけ入れた。そして、スタートも成功して前のホンダS800に並びかけたのだが、加速は敵が勝り結局抜けない。それどころか、案の定後方スタートながら加速に勝るアルピーヌA110や他のホンダS等にも追い抜かれる。しかし、ここでひるんでは野望が達成出来ないと・・・奇数グリッド1コーナーアウト側スタートだったので、1〜2コーナーは出来るだけのレートブレーキングで、アウトからつっこみ(いわゆる大外狩り)、思惑通りココからS字にかけて、ホンダS勢やサニーB110や A110等かなりの台数のマシンをゴボウ抜き!した気がする・・・で、S字を抜けて気が付けば、なんとあのポルシェ904のテールをとらえられたではないか!そしてついに逆バンクの進入ではインをうかがえる体制まで詰め寄る(1周目逆バンクの画像見て見て!!)。そこからの立ち上がりはコンテッサの方が車速は乗っていて、そのままスロットル緩めず右側のラインをとれば、最終コーナーでインを取って、904を抜いてグランドスタンド前に現れて・・・憧れの生沢徹なれる!!!・・・

 と、ココから自分に戻ります。・・・と、あと一歩で野望が達成されそうだったのですが!実際最終コーナー手前で右側に並びかけれそうだったので、インに突っ込む事も出来たとは思うのですが、ここで夢より現実の “もし当たっちゃったらえらいこっちゃ!” という思考回路がONになり、ジェントル?冷静になってアクセルから右足が緩み一歩引いて・・・結局憧れの生沢徹にはなれませんでした。

 この後、904はストレートで遥か彼方に見えなくなり二度とレース中見えませんでした。でも、実際のレースで一瞬でも“伝説の904”とテール to ノーズで走った時は本当に感動しました。

 そして、その後もホンダS軍団やサニーB110やアルピーヌA110達とバトルを演じ(終盤に油温が上昇してしまい「チェッカー旗まだか」・・と、生沢徹になれました?が:以上、生沢徹様の敬称略で失礼いたしました)、最終順位はサニーB110の後、すべてのホンダS・アルピーヌA110の前でゴール出来、自分としてはたいへん楽しめたし、今回は一応レースにはなったんじゃないかと満足しております。

 楽しく感動的なすばらしいレースを催していただいた主催者・オフィシャルの方々、今回のレースの花:貴重なポルシェ904を華麗に走らせて下さった藤田・安藤両選手をはじめそれぞれに思い入れのある大切かつ貴重な愛車であくまでフェアでありながらもエキサイティングなバトルを演じたエントラント諸兄、支えたチーム員すべての皆様に感謝の念で一杯です。

 もう1台の花となる予定であった忘れてはならないマシン:アルピーヌM63の加藤仁選手は予選前練習走行でトラブル・リタイアしてしまい非常に残念でしたが、今後の活躍が期待されます(耐久レースの際はまた乗せて下さいネ?)。

 *ボクにとってのクラシックカーレースは・・・勝つために出るならコンテッサなんか?絶対選びませんが、子供の頃からの思い入れのある好きなクルマで、でもレースに出る以上はクルマのポテンシャルは出来るだけ引き出し(もちろん安全な自分の能力範囲内に留めたいですが)、そして出来れば見て下さっている方々にも印象付けていただける様な走りをして(順位は二の次)、かつてマイナーな存在ながらもサーキットで活躍したコンテッサという名車(と少なくともボクは思っている)の存在をアピール出来たらと思っていますが、とにかく何よりも自分が楽しむ事が第一ですかね。

車載映像

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あのポルシェ904のテールをとらえられたではないか!ビデオ映像
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(鈴木 陽一郎、2005.1.28(オリジナル)、TEM-R(Team Eight Mikawa-Rally)、Hino Contessa Club、Club Zone Rouge)