日野コンテッサ1300の史実をハイライトする!
流れ星如く光り、散ってしまった日野自動車のコンテッサ1300、微力ながら例年の如く、実車共々、超私的プロジェクトとして『日野研究』を続けております。
コンテッサ含め、旧車がクルマ本来の機能無き静的外観主体評価に大いなるレジスタンスを感じるものです。『クルマは走ってこそ』であり、クルマ文化として『走って楽しいコンテッサ』を後世に残すためにも、『人車共』に性能向上を進める所存です。
そんな中、昨今の旧車に中でもメディアの話題にならない日野自動車のコンテッサ1300、残念ではありますが事実です。記憶にも記録になかなか残らない日野自動車のコンテッサ1300です。
これはいけないと思い、当初は趣味的なポイントが中心でしたが、年初に『日野研究』の成果含めて、せめて記憶にだけでも当時の関係者も思いを盛り込んでささやかですがカレンダーを制作しております。家族やごく少数の友人に配布しております。
ここに過去のカレンダーを公開し、皆様の記憶に残るよう日野自動車やその関係者の皆さんのご努力に尊敬の念を示すものです。
昨年、日野自動車の貴重な文化遺産とも言えるミケロッティ最高傑作の日野コンテッサ900スプリントの機械式タコメーターへの修復作業を幸運なことに協力させていただき、この上ない一生の想い出となりました。
その際の伯爵夫人の素晴らしいコクピットからステアリングを握り前方を眺めた際の今にも自分自身のドライブで現実に疾走するようなイメージがその美しさまた香りと共に今だ忘れることが出来ません。
そこで日野コンテッサ900スプリントのダッシュボードを筆頭に個人的に気に入っている素晴らしいコクピットを持つクルマ達をフィーチャーし、2009年度のカレンダーとしてみました。
昨年後半には日野自動車の貴重な文化遺産とも言えるミケロッティ最高傑作の日野コンテッサ900スプリントの石見&福井美術館展示に向けて幸運なことに微力ながら協力させていただきました。
その際の伯爵夫人の斜め後ろ姿を眺めているとやはり走るクルマのデザインとしてある種の品格ある女性の気を感じざるを得ません。かの本田宗一郎さんはリヤビューはSexyなんどと自らクレイモデルの最終形状に手をいれた話を思い出すものです。
また敬愛すべきBob Williams氏の有名なDeuces Wildの絵画を視ていますといささか不純ではありますがホットロッド目線での愛嬌さを感じます。そんな勢いで日野コンテッサを初め個人的に気に入っている愛すべきリヤビュー(テール)を持つクルマ達をフィーチャーし、2010年度のカレンダーとしてみました。
ビジネスでパリ出張の際に、何としても現場を自分の目で見たいと長い間、想いいだいていたノルマンディのディエップへと足を伸ばすことが出来ました。70年代始めに目にしていたAutomobile Year Book他に掲載されていた日野スプリント1300GTを撮影した場所に自分の五感をもって立つことが目的でした。
そこで目にしたのは、45年を経た現在も周辺の木々含め何にも変らない光景でした。正にこの場に日野の真の小型スポーツカーとなるべく試作車があったのかと思うとそれは感慨深いものがありました。
欧米人はよく「東京のランドマークはどこだ?」とよく言います。ディエップのその場で「このようなものをランドマークと言うのか!」と、そんな勢いでフランス・ルノー公団を範とした日野ルノーの昔の広告写真などに戦略的に使われた「ランドマーク」を思い出し、日野の小型乗用車の当時の写真と自分の足で歩いた現在の地との比較をフィーチャし、2011年度のカレンダーとしてみました。
日野の技術の原点である「星子 勇」の描いた「日本国民を豊かにする大衆車の生産&販売」に向けて、戦後、フランスルノー4CVの国産化、そして自前の「日野コンテッサ」が販売されて半世紀となった年でもありました。そこでそれら歴史を顧みて、当時のキーパーソンをフォーチャーし、彼らのメッセージを日野新聞を中心に切り貼り細工をし、2012年度のカレンダーとしてみました。
日本の工業&経済発展の黎明期に世界に向けて流星の如くキラりと現れ、散った日野の素晴らしいコンテッサ900と共に、当時の日野の皆さんの魂は忘れるものでなく、我々も末永く将来への糧になるものと信じます。
2012年は、日野の技術的チャレンジになったコンテッサ900のテクノロジー・プラットフォームをベースに、イタリアの若きカー・スタイリスト、ミケロッティ氏が満を持してコンテッサ900スプリントをトリノショーにて発表から半世紀となった年でもありました。2013年は、日本デビューの50年目の節目となります。今見ても、世界一美しいこの偉大なる「ミケロッティのデザイン」に尊敬の念を表し、2013年度のカレンダーとしてみました。
イタリアのスタイル・オート誌創刊号のトリノの13のコーチビルダーにそのリストに載らないものの巻末に氏の才能について、「スタイリスト」として、「コンテッサ900スプリント」の解説とともに大々的に取り上げられています。三角窓が無い、十分なクラッシュパッド、リアスタイルの一部であるバックライトのデザインなど一部でありますが、「何故なのか」がそこに語られています。
2013年は、日野自動車の世界へのレースにチャレンジした1963年から50年目となる節目の年でした。日野の技術の祖・星子 勇の壮大なビジョン「日本を工業国に変革し、豊かな国に。それには大衆車を造る!」に始まり、その夢を実行すべくコンテッサの戦略「輸出適格車を開発・製造・販売する!」、そして戦術「内外のレースに出る、レースはクルマを売る!」を展開したと分析しております。残念ながら、特に日本では “切り取られた自動車文化史” 如くであります。
ここにコンテッサ:伯爵夫人の挑戦に敬意と、その関係者の皆さんに尊敬の念を表し、Never Fade Away【現物をもって後世に語り継ぐ - 日野コンテッサの挑戦、今も続く】として、本年2014年度のカレンダーとしてみました。
2014年は、日野自動車の期待の星であった「日野コンテッサ1300」が1964年10月に発売され、正に半世紀:50年目の年でした。内外装 “100%” のミケロッティ・デザイン、そして日野自前のエンジン・ボデー・シャシー技術をもって世界に向けて発信したコンテッサ1300は、2015年の半世紀前、1965年には、欧州イタリアの地での国際自動車エンレガンスコンクールに於いて、クーペは名誉大賞、セダンは第一位とそのパッケージイング力が大きく評価されました。
ここにコンテッサ:伯爵夫人の当時の国際市場に向けての挑戦への敬意とその関係者の皆さんへの尊敬の念を表し、誕生から国際市場への挑戦&評価についてまとめ、本年2015年度のカレンダーとしてみました。
折しも2016年は、日野自動車の輸出適格車として期待の星であった「日野コンテッサ1300」が欧州のコンクールに於いて前年度に続き評価され、また世界各地で現地生産も始まった記念すべき50年目の年です。ミケロッティ・デザインと日野自動車自前のエンジン・ボデー・シャシー技術をもって世界に向けて輸出されたコンテッサ1300は現地生産を含み、数十カ国に及び今だ根強い愛好者を有しているようです。
ここにコンテッサ (伯爵夫人) の当時の国際市場に向けての挑戦への敬意と現愛好者の皆さんへの尊敬の念を表し、輸出努力の様々な場面を取り纏め、本年2016年度のカレンダーとしてみました。
『実車:BREコンテッサ (PD300-103308) 』は、大幅リノベーションを施した2013年公道復帰後も体力強化を進めております。その一環として結果がすぐ出る競技イベント:ジムカーナに現代車&若者に混じること早5年を経ました。幸運にも2020年度はHISクラスのシリーズ優勝を手にしました。これも周辺の皆さんのあたたかいご支援の結果であります。
2021年のカレンダー、僭越ではありますが、”ビギナーズジムカーナin筑波 2020” HISクラスの年間優勝を記念し、"日野コンテッサ PD300-103308の軌跡 1966〜2020" としました。当時の日野自動車時代の史実含めて記念すべきイベントを取り上げました。クルマ文化として、半世紀以上経た日野車が今日でもモータースポーツへの貢献が後世に残せればと思います。
折しも昨年、2021年は、日野コンテッサ1300のデザイナーであるイタリアのカー・スタイリスト、ジョヴァンニ・ミケロッティさんの生誕100年となりました。トリノの Museo Nazionale dell’Automobile di Torino (MAUTO、トリノ国立自動車博物館) では長期特別展、MICHELOTTI WORLD. 1921-2021 One hundred years of a designer without borders (抄訳:ミケロッティの世界、1921-2021、国境無きデザイナーの100年) が開催されています。
2022年のカレンダーは、それを記念して、ミケロッティさんのコンテッサ・デザインのプロセス、その結果が認められたエレガンス・コンクールについてフィーチャーしてみました。ページに限りがあり、多くを掲載できませんが、独断で偏見で選択しました。氏の偉大さを共有し、氏を尊び、そしてこのような文化的価値のある日野コンテッサを博物館のような静的展示物に成り下がることなく、今後も快活な走りをもってその美しさを世間に示せれば幸いです。
日野自動車は1960年当時、コンテッサの車両性能向上や市場での競争優位を目指していました。少ないリソースの中、日本初のフォーミュラレーサー含め競技車両の研究&開発を鋭意進めました。その一つが市販車に近い関係になるスポーツプロトの展開でした。それは日野自動車だけに留まらず、日本のモータースポーツ界にも大きな影響を与えていました。
2023年のカレンダーは、その努力に敬意を表し、日野自動車あるいはコンテッサをルーツに持つプロトタイプレーサーを特集しました。ページに限りがあり、多くを掲載できませんが、独断で偏見で選択しました。クルマとして文化的価値のある日野車を博物館のような生気を失したような静的展示物に成り下がることなく、今後も快活な走りをもってその美しさを世間に示せれば幸いです。
日野自動車は1960年当時、日野コンテッサ1300について、社を挙げて海外展開を目指して商品創出努力をしていました。その夢を現実なものにすべく、60年前の1964年の市場投入の際、東京モーターショーに先駆けて、欧州進出を目指してフランスのパリモーターショー (パリサロン) に出展、そして1966年までの3年間、継続しました。
単にクルマを輸出するだけでなく、欧州のクルマ文化の中に飛び込んでのパリサロン出展は、当時の日本メーカーとして異例であり、快挙と言えます。しかし、残念ながら日本国内の自動車産業再編成にもまれて1966年10月、パリサロン閉幕の前日に日野コンテッサ1300は市場撤退となりました。
日野コンテッサ1300発売60周年の2024年カレンダーは、欧州進出&パリサロンへの当時の立役者・松方社長&内田常務 (コンテッサの名付け親&輸出適格車の提唱者) のご努力に敬意を表し、「日野コンテッサ1300、パリに咲き、パリに散る」を特集しました。