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よく考えれば実に少量生産だった!今となっては時代の挑戦者だったのだろうか?
日野自動車カタログ (GR100-R125-50*66.8) より
50数年前のクルマではありますがコンテッサ乗りの何%か悩んでいるか、あるいは何%が満足しているのか?と、思うことがあります。
それは1964年発売開始の日野コンテッサ1300の赤いエンジン、日野GR100エンジンのパワーと信頼性です。技術的は当時、エンジン単体ではクロスフローだとか5ベアリンなど新技術などいろいろ話題にもなりました。
しかし、走るとなると、コンテッサクーペの車重;940kg (セダンは945kg) に対して65hp (セダンは55hp) ですからパワーウエイトレシオは14.5kg/hp (セダンは17.2kg/hp) であり、当時でも到底スポーツカーでもスポーティカーの範疇でもなかったのです。それは平均的なファミリーカー 並の走行性能だったのです。
さらに、大きな問題はGR100は日野自動車初めての小型ガソリンエンジンの設計であり、加えて日野コンテッサ1300は3年にも満たない1967年には突然製造中止&市場撤退、エンジンの製造台数もたったの5〜6万台と少なかったのです。
今日となってもっとも恨めしいのは、その後の進展・発展が完全に閉ざされてしまったことです。部品供給もしかりです。しかも、当時の工業技術の水準を物語るものだと思いますが、カタログで65hpと言うもののラインのテストでの平均的な数字は55〜56hp程度だったという当事者の記録も目にしています。
当時の日野自動車 GR100エンジンテストベッド、実に巨大な流れ作業の仕組みのようだ!
画像をよく見ると日野コンテッサクーペ用GR100が流れている。
当時の他社のエンジンと言えば、日産もトヨタも継続的に発展し エンジンは時代の要求に合わせてパワーアップして、さらにユーザー使用でのフィードバックで信頼性も向上しました。
後発のホンダは、正にエンジンカンパニーで、すばらしいパフォーマンスだったと分析します。しかも、各社共に世界中に販売しており、今持ってそれなりに補修部品あるいはアップグレード部品、さらにノウハウもが世界中から入手可能です。
残念ながら、日野GR100エンジンを持つ日野コンテッサ1300のオーナーはそんなことは望むべくなく、ただただ50数年前の状態で我慢、我慢です。そう思うのは当サイトオーナーだけでしょうか?
しかし、なぜこの非力あるいはアップグレードも出来ないコンテッサ1300に乗るのでしょうか?
それは別途として、そんな日々を長年過ごしていると、実に多くの羨ましいエンジンが存在します。このシリーズではそのようなエンジンを日野GR100エンジンと比較しながら想いも含めて追ってみたいと考えます。
日野自動車カタログ (R121-30*65.5) より
たかがGR100、されどGR100... その1 - ミニ編 (20171203)
当時の英AUTOCAR誌、旧車の発売当時の情報を得るには当時のものがベストである。昨今の旧車専門誌と違って当時の生の情報が伝わってくる!
日野自動車のGR100エンジンはたったの3年余りの余りの市場ライフサイクルでした。基本設計の初期不良の対処はあったものの明らかな進歩はありませんでした。他社の一般的エンジンがどうであったです。
画像はオースチン・ミニ (Mini - Wiki) は新発売された際の英Autocar誌 (1959年8月28日) です。New AUSTIN SEVENは、B.M.C BABYとて詳細な特集となってます。たまた70年代後半に滞在中のロス郊外の古本屋で手にしました。今でも他のミニ関係の整備書諸々とともにGR100エンジン改善のために大切にしています。
ミニに搭載のBMC A-Seriesエンジンは、諸説あるようですが、1959年当時、ボア 62.9mm、ストローク 68.26mm、848c.c.、33hp、最終的に1275cc (ボア 70.6mm、ストローク 81.286mm、1275c.c.) 、ストックで56hpであり、パワーでは低速トルクや燃費重視のGR100と同じロングストローク (Long Stroke) です。2000年までミニは530万台の販売だっとか、エンジンはミニ以外にも多く搭載されてますのでその数はもっと数が増えます。
この数字だけをとってみれば日野コンテッサのGR100の100数十倍の生産量でそれに比例してライフサイクル含めても品質は比べようがありません。さらに羨む魅力なのが今もって多くの保守部品の流通、パワーアップなどがなされていることです (A-Series engine: a hard act to follow) 。また、1,400ccエンジン (Strocker Engine) なども当時からありましたが、今持って市場で入手可能なことです。残念がら日野コンテッサのGR100には望むべくものではありません。
たかがGR100、されどGR100... その2 - Cosworth編 (20171209)
このYBエンジンを我がコンテツのリヤにぶら下がったらどんなに面白いクルマになるだとうと、短時間であったが妄想を満喫させていただいた!
先にミニのロングストロークエンジンはGR100のスープアップに参照すべきものとしてます。しかし、もっと回るエンジンは何かとなると一時期真剣に考えたのが画像にあるコスワース (COSWORTH) であり、90年始めだったでしょうかCOSWORTH ENGINEERING (現、Cosworth) から資料を取り寄せました。社の分厚い最新カタログであり、大変律儀に対応いただいたと記憶に焼き付いています。
このYBシリーズは乾燥重量、118kg (260Lbs) とGR100の128kgよりも10kgも軽い2,000ccエンジンです。まさにアバルト (Abarth) のFiat OT2000にようなものが可能になるものです。しかもGR100と同様に右にキャブ、左にエキパイと見栄えも同じ、さらにディスビューも同じような場所、そして日野同様に赤のブロックということが何よりも気に入りました。
このYBシリーズは当時、数千ドル (中ほどの) でコンプリートなものが購入できたと記憶してます。では購入かと、でもそれはまさに誇大妄想の域を出ませんした。
この妄想の中で、プラクティスとして学んだことはよくある手法でベースのエンジン、すなわち腰下は大衆車のフォードのピント (Ford Pinto Engine) のものだったいうことです。しかもロングストロークでない、ショートストローク (Short Stroke) だったのです。これがおそらく高回転型に向く仕様だったのでしょう。
そして最も重要なことは、このエンジンは今だ進化を続け、チューニング&キットが豊富にあることです。
たかがGR100、されどGR100... その3 - Kent編 (20171223)
これ程の書籍が販売されている英国の自動車好きが本当に羨ましいと思う内容!特に左のマニュアルはどのエンジンにも応用できるものである!
画像の右は、HaynesのBuild your own Sports Car,..and Race it!!、自分のスポーツカーは自分で作れ!それでレースをする、とでも解釈すればよい誠にファンスティックは書籍です。2000年に発売され、すぐに手にしました。
その内容は2013年型コンテツを製作 (リファービッシュ) する際に多く参考&確認のために参照させていただきました。
自分でシャシーなど鉄骨から作れますが、エンジンはそう簡単には行きません。そこで登場するのが市販のクルマ、すなわちドナーカー、あるいはコンプリートなエンジンを調達することになります。その参考情報の一つが、FordのKent Engineです。それが画像の左にマニュアルで英国のFordのクラブに登録し、ダウンロードさせていただきました。
その2のCosworth YB同様に1960年近くの100万台以上生産された大衆車のFord Angliaのベースにしたものです。ブロックなどの基本設計が優れていたということでしょう。また、このエンジンもショートストロークであり、参照情報によると80.963mm x 48.412mmという超ショートストロークから発展、すなわちストロークを伸ばして排気量を増やすという製作設備のコストを抑える当時の手法でもあったようです。
このエンジンはいまではケーターハイム7などのクロスフローの画像 (グーグル検索) やBDRの画像 (グーグル検索) などへと発展し、今日でのジムカーナなどでモダーンカーをも圧倒する最強のパワーをドライバーの技量をもって誇示していると考えます。つまり、半世紀以上を経て、今持って、これらのエンジンは進化を続けており、それを支援する市場がしっかりとしていることです。
たかがGR100、されどGR100... その4 - VW Aircool編 (20171231)
画像、80年代にSCAT Enterprises (南カリフォルニア、レドンドビーチ) を訪問し、カタログを入手、そこで我がコンテツに流用できるものないかむさぼるように読んでいた。自分としてはコンテツ維持のために大きな財産となった!今でも捨てることはできない一冊である。
VWの空冷エンジンはwikiによれば1936年に遡るようです。当初は20馬力程度のエンジンだったようです。1936年から2003年まで製造された空冷ビートル (Volkswagen Beetle) は、1,100cc〜1,600ccのエンジンを搭載し、全世界で何と2,152万9,464台の販売だったそうです。
これだけの数が全世界至るところで人々の生活を支援して役にたってきたのは驚異的なクルマあるいはエンジンです。正に大衆のための大衆車のマシンです。エンジンの設計者は技術者冥利に尽きることと推測するものです。
そしてこれまた排気量アップが容易なショートストロークです。当初のエンジンが世界中至るところで活躍できるようにかなり保守的なエンジンであったと分析しています。しかし、今では新しいテクノロジーも盛り込んで単なる排気量では2,800cc程度まで可能です。
さらに重要なことは、今持って進化を続けていることです。基本的なレイアウトは同じものの、現代のエンジンのように環境問題をも克服しているようです。ありとあらゆるすべての部品が新たなテクノロジーをもって新たに製造されたものを入手可能です。それも世界中には星の数のように存在することです。排気量、トルク、馬力、吸気&排気系、すべて望むものが調達可能です。
我がコンテツには望めないものすべてがあります。技術的な参照&参考には最高に豊富なネタが揃っています!下記の参考情報を見ると “垂涎の的” ばかりであります。
たかがGR100、されどGR100... その5 - Oldsmobile 215編 (20180106)
テールに2.6L V8エンジンをぶら下げた日野コンテッサ1300クーペ、この常規を超えた発想、丁度、ACコブラみたいなものと思う!つまり、「Fun to Drive!」にほかならない。
1961年に登場のオールズモビルのビィックの215エンジンです (Oldsmobile V8 engine、Buick V8 engine) 。これは決して、初物ではなくその前に数十年に渡り2千万台以上生産のエンジンが元になっている新たな時代へのアルミ製 V8 3,500ccエンジンです。乾燥重量は150kgと超軽量を実現をしました。カトラス (Oldmobile Cutlass) などの大衆車向けでした。
コンテッサ1300のGRエンジンの初物の設計でしかも数年の寿命の数万台の後先をおおいに欠いた一発ものとは比較にならない経験で開発されてます。
米国ではその後の目立った発展はなかったようですが、英国のローバーで発展、最終的に5L越えのアルミエンジンになっています (Rover V8 Engine) 。またローバーエンジンをベースにしたモーガン、ジネッタ、MG、TVRなどを始め、キットカー市場のエンジンを席巻、今持って進化しています。新たな設計要素を盛り込んだブロック含めあらゆるものが複数のサプライヤーから適切な価格で入手可能です。
さらに、ブラバムによるRepco 3Lエンジンのブロックにも採用されました (Goole 画像検索:Repco V8) 。1966年と1967年のフォーミュラワンのワールドチャンピオンにもなっています。さらにCosworth DFVエンジンのブロックのベースにもなりました。
実はこのエンジン、1980年代にデルダンディツーリングのV8 2.6L エンジン トヨタVG10 (画像の左側がコンテッサのGR100に搭載された姿) に換えて利用することを真剣に考えました。重量的には20kg程度増なのでラジエータなどはフロントにすれば何とかなるだろう、またミッションについては日野コンテッサのそれは昔のフォーミュラカーでも4Lクラスのエンジンにも使用されたので問題なしと楽観的な考えです。結果的によくある誇大妄想の域を出ませんでした。でもそんなクルマが出来たら楽しいだろうとその気持ちは今も変わりません。
トヨタのV8 エンジン VG10は当時、本稿のOldsmobile 215を参考にしたと言われていました。なるほど、作りは瓜二つで現物をもって納得してました (トヨタは絶対に否定するだろうが) 。使える部品がないか、米国でいろいろ探してみましたが、ボルトオンではサイズが異なり不可能と判断しました。このVG10もブラバムが当時、Repcoエンジン開発の候補にしたと報道されていましたが、採用にはいたらなかったようです。
大衆車から発展、展開したエンジンでこれ以上の活躍は他にも少ない市場最高の設計&活用がなされていると考えます。登場前の歴史&経験の厚さ、裏付けを持っての設計の確かさ、そして自社のみならず多くの利用者への懐の深さがこの結果を得ていると分析します。
たかがGR100、されどGR100... その6 - 日産L型エンジン編 (20230217)
原理・原則であるベーシックなノウハウは満載の書籍、当初、BREの510は7,000rpmの高回転でバイブレーション、そこでフルカウンターが登場したとか、生々しいストーリが数多く載っている。L型のみならず参考になる情報が多い!
日本を含む世界中で今もって信頼性の高いエンジンとして半世紀以上も親しまれています。
そのルーツを辿ると、昔、日産の従業員が言っていたメルセデスのコピーで特殊工具も同じと、今日、Wiki (Nissan L engine) を閲覧するとやはりそのようで、レファレンスには開発技術者の固有名詞含めてその経緯が記述されています。ある時期、日産のエンジン開発車に事実をお聞きしたいとたずねると、そんなことはない!と、一点張りでした。まあ、そんなことがここではどうでもよいことです。
このエンジンのすごいことは基本設計が将来を見据えていることではないかと思います。日産のストーンエンジン (Wiki:ダットサン・110/210) の経験をもって、工場の治具の投資を大きくすることなく排気量アップに対応できることどと思います。すなわち、ボアをそのままにストロークを増やすだけです。ボアも83ミリと大きく、高出力&高回転向きに見えます。そして各パーツに共通性は多く、後々のメンテナンスやスープアップに対応し易いことでしょう。
そんなエンジンを搭載した510は米国のレースフィールドに於いて、長年王座のBMWをアルファロメオを駆逐し、大ブレークし、続く年にすぐに240Zへの成功にも結びつきました。それは今持って、多くのL型エンジンのファン、またチューナー&パーツは、今でも多く存在し、かつ発展しています。また、実に多くのノウハウも多く公開されています。
世界も何百万台と販売されたDATSUN、今だ多くの搭載したクルマが世界中で日常の生活に供され、経済性が優れ、だれでもそれなりにいじくれる気軽なL型エンジンは今後も末永く愛されるでしょう。実にうらやましい限りです
たかがGR100、されどGR100… (7) - いすゞ G系編 (20180303)
エンジンの基本設計がすぐれた証しがOHVからOHCへの正常進化を容易にさせたのがいすゞの技術力は分析、おそらく部分最適ではなく全体最適を考える空気があったのだろうと推測する。
このシリーズでは、世界に広まった大衆車のエンジンをベースに高性能に片鱗した素晴らしいものを取り上げてきました。
ここでは決してそうではないものの基本設計が良く1,300ccから2,000ccまで基本的に同系統のブロックで生産設備を大きく変えることなく60馬力弱から倍以上の130馬力へと、さらに競技用は実に180馬力を排出したエンジンを取り上げました。また市場では1963年 (ベレットやワスプなど商用車) から1981年 (117) と長きに渡って数多くのモデル、しかも一般大衆乗用車、商用車、そしてスポーツカーにと全世界 (さらにIsuzu Piaza/Implus) で大活躍をしました。
それはいすゞのG150の1,500ccエンジンとその発展系です (いすゞのエンジン型式) 。基本的に1,300ccから1,800ccまでボアプッチは同じでボア径でさまざまな排気量に対処、1,800ccは同じボアピッチですが若干スロトークを伸ばしました。当初はOHVでスタート、後にOHCへと、そしてスポーツカーにはツインカムのヘッドを乗せました。これらブロックの構造は妥協することなく正常進化させていたのです。
これらの起源は1960年代初頭前後の設計にあったのです。そこでの技術者の発想、エンジニアリングの決定が、どのような経緯があったのか大いに興味あるものです。しかも、その基本設計が後のエンジンの発展に (会社を潰すことにもなるだろう) 大きな設備投資をせずにできる設計思想がいすゞ社としてあったことに大いに感銘を受けるものです。
このエンジンはさらに発展し、ピアッツァやジェミニにと応用されたようです。ワールドでのG系エンジンの累計の生産台数は。初代のジェミニだけでも76,537台とあり、おそらく全体では百万台に達しているのではと推測します。日野コンテッサ1300のGR100エンジンとは比較にならない20倍近くとなります。
現行のベレットのオーナーもそれら進展の恩恵あるもので、旧い個体でも新しい技術を持った部品などの応用など、さらに強者は2,200ccという大排気量をも享受されておるようです。
たかがGR100、されどGR100… (8) - 三菱 4G系編 (20180515)
三菱 4G系エンジン、本当にすべてを削ぎ落とした様に感じる設計。その後の各社のエンジン設計 (トヨタ 4AGなど) に大きな影響を与えたと思う。航空機屋はすごいと思う瞬間である。
本テーマ、どうしても忘れられない、あるいは今でも気になるのが三菱自動車の4G系エンジンです。
1969年当時、新型コルトギャラン用にサターンエンジン、4G39&4G31型OHCエンジンが発表されました。それぞれ、ロングストローク&半球型の燃焼室から1,300ccは87PS 、1,500ccは95/105馬力、正に新しい時代のエンジン設計によるものでさらなる高性能と高信頼性を備えたものでした。
しかも、さらなる小型軽量化設計であり、それぞれ102kg/106kgと当時の同クラスに比較して20〜50%と軽いのです。日野コンテッサのGRエンジンと比較しても25%もの軽量化です。しかも馬力は、6割 (87ps対55ps) ものアップでした。
この4Gエンジンの基本設計は2000年ごろまで長い間継承されたと分析しております。おそらく100数十万台をかなり上回る数字で世界で活躍したと思います。2000年初め、ある会合で三菱自動車の方とお話しする機会があり、この4Gエンジンの素晴らしさを語ったところ、その方はいみじくも「実は1960年後半の4Gエンジン以来、新しいものを開発してなかった。当時の新型コルト (2002年?) に載せたのが事実上、30年ぶりのガソリンエンジン開発。。。」と、これまたすごい話だと、つまり打つタマも少ないものの一発で最高のものを設計&製造してしまうんだということです。さすが航空機を背景にもつ技術集団と思ったものです。
そんな意味で、国産エンジンとして尊敬すべき4Gエンジンであり、こんなものがコンテッサに載せたら面白いと思うものです。余計な話ですが、日本でバギーレースが盛んだったころ、当初はコンテッサ1300のミッションとカローラのK型ピストン (オリジナル:75mm) を組み込んだGRエンジンの組み合わせが牙城でしたが、この4G30が登場後は、コンテッサの強靭なミッション+三菱のサターンエンジンの牙城になりました。