新年を迎えて:2020年
今年も新しい年となりました。年末から天候も清々しい新年を迎えることができました。皆さまにおかれても素晴らしい年になることをお祈り申し上げます。
年齢的にはもうすでに正真正銘の高齢者であり後期高齢者への自動車運転免許証の切替もそう遠くはありません。クルマ好きの友人の今年の賀状には免許証返納をしたとかもちらほら見受けるようになりました。
一昨年あたりから気になる高齢ドライバーの操作ミスによる諸々も課題です。この話ばかりはまったく心に楔を入れるように恐怖感を感じるものです。つまり、お前はどうするのかと言うことです。
折しも昨年はとんでもない骨折の怪我をかこいました。2ヶ月近くもコルセット共にベッドでの安静、整形外科の物理的&薬物処置なしの治療でひたすら骨が固まるを待つのみ、限定的な行動から解放されるまでホボ5ヶ月を要しました。
考えてみれば、今回の整形外科を含めて、目下、ルーチンで5つもの定期検診&治療であります。知らん間に増えました。やはり歳のせいでしょうか!何かがおかしいと言えば、その数が増えることがあっても減ることのなさそうな状況です。コンテッサよりも手間のかかる歳老いた身体であります。こんなことを考えるとやはり “免許証返納” なのかと時折自問自答になります。多くの高齢者はおそらくそう考えているのではないでしょうか?
昔から座右の銘にしている “最高の人生は、死ぬときにやり残したことが沢山あること” です。これを何時も頭の中に描いています。それは自分勝手な言い分にすぎませんが、とにかく今もって、この年齢になってもやることあるいはやりたいことが多すぎることです。
その一つは今も続けている自称 “生涯現役” と25年前の1995年にサラリーマンを辞して始めた個人事業です。その際は自動車趣味に封印を決意しました。何時もいつかクローズしなければと、60歳をメドにハッピーエンドで定年退職をと、しかし、今だ継続をしております。現実は政府のいうように “老後の2000万” のごとく生活のインプット課題であります。
すべての希望を捨ててしまえばインプットは縮小しても良いのでしょう。しかし、それはあまりに酷であり、寂しい人生す。重要なことは社会的に認められて持続性をもって個人事業を継続するには相当なエネルギーが必要です。例えば世の中のテクノロジーはどんどん進歩するのでそれに対応することが必要です。常にそれらのインプット&研鑽をしなければ事業活動へのアウトプットが枯渇してしまいます。とにかく7/24 (すなわち四六時中) で身体と脳みそを回転、すなわちこれは歳をとっても良いエネルギーの源泉を考えます。
そして二つ目がもちろんクルマ趣味です。それも1960年代半ばの高校時代に憧れ1970年に乗り始めた日野コンテッサ1300です。今年は2020年ですから何と50年目です。当初は2~3年乗ればと考えていました。よくも半世紀もと思うものです。
1972.1.3 撮影 @三島市 国道1号線 富士見食堂駐車場 (三島市時代)
なぜ日野コンテッサ1300なのか?というとただただ “We Like Hino Contessa!” だけです。乗り始めの頃からそのスタイリングに惚れたものの走りは実にドンなクルマでした。
しかも購入した翌年には、日野のパーツデポ (当時の葛西) では、”このクルマの部品は一切ありません” と、宣告されました。トヨタと提携した日野の戦略として “日野コンテッサ1300” の運命は地獄の底に祀るようなものだったのです。
そんな中で何時も思っていたのがどうしたら “スタイリングに相応しい走り” のコンテッサでした。そんなことを思い描き、できる範囲の改善・改造を進め、結果的に50年を経てしまったと如何にもあきれた我が人生です。今でも当時の思いはまったく変わらず、自分の日常がコンテッサと共にあります。
その意味で日野コンテッサ1300は世間一般でいう “旧車” であることは間違いありませんが、自分にとってはそれはまったく当たらず、まったくもって50年前と同じであり自分では “旧車” と思うことはなく、ただただ、このドンなクルマをどうしたらもう少しアグレッシブになるのかと、それだけに過ぎません。
ビ筑で始めた日野コンテッサ1300でのジムカーナ、今年で5シーズン目です。当初は自分で考え組み直した個体はどんな走りなのかを試すというシンプルなものでした。しかし、ジムカーナという場での自分の未熟さを知り、2シーズン目の後半からは練習会も組み入れました。同時に我がコンテッサも多くの欠点も露呈し、かずかずの改善を施しました。昨年あたりから足回りはホボ満足のゆくレベルに達してきました。
ドライビングについては冒頭の高齢者ドライバーの範疇であり、また元来走りに向いた性格ではないので多くの向上を望むのは無謀であります。しかし、現場の皆さんの暖かい支援により、ドライビングの基本を学ばせていただいております。実にありがたいことであり、またそれはこの歳になっても何時も新鮮に感ずるです。
今の目標は、”日野コンテッサ1300” の走りの姿を後世に残したいと考えています。それは多くの旧車イベントでは個体の外観や部品の純正度などの “静” の見てくれが主体、あるいは評価であります。これには長い間の疑問です。”クルマ” 、それは走ってこそ、すなわち “動” であってこそです。
クルマは、”走らなければただの1/1のプラモデル” であり、”旧車は走ってこそ” です。クルマは絵画ではないのです。形を見せるだけ、あるいは見るだけではあまりにお粗末です。その意味で、自分としては、ジムカーナを通して、見ている皆さんが楽しい、運転する方も楽しい ”走り” について精進したいと考えています。
と、いうことで、今年もさらなる “健康管理&留意” を第一に、世間に迷惑をかけず可能な限り “生涯現役” を目指して仕事をする、そして “走る日野コンテッサ1300” が目標です。
本年もよろしくお願い申し上げます。
新年を迎えて:2019年
新しい年となりました。年末から天候も清々しい新年を迎えることができました。皆さまにおかれても素晴らしい年になることをお祈り申し上げます。
折しも昨年からのグローバル経済の不安てさが新年に露呈し、リーマンショック後早10年で新たな試練を呈しているかのようです。
残念ながら名だたるエコノミストが何と言おうが経済については予測不可能なことと思うものです。その時々の世界の指導者あるいは経済を握る人々の考え一つで自然災害のごとく降りかかる人災と思うものです。
この新しい年に試練はあるのでしょうが常識をもった行動をとられることを祈るのみです。
新年を迎えて:2018年
まずはクルマ共々元気にしているコトに感謝したいと思います。これも日頃からの神様のご加護あってと考えます。
昨年、一年は目一杯我がコンテッサのハンドル握ったような気がしています。しかし、その割には距離数は伸びてません。
遠くにツーリングとか展示イベントにも皆無に近いもので、ひたすら筑波サーキットのジムカーナ場の往復に明け暮れ、集中的なにドライビングした結果と思います。
世間一般では、俗にいう終活世代なんでしょうが、今だウィークディは長年染み付いた所謂仕事モードを脱することが出来ません。遥か彼方の40歳ころのサラリーマン時代に幻想を抱いた定年後は趣味三昧なんては夢のまた夢、この先もありそうに見えません。そんなことの繰り返しで新たな年を迎え、すでに1ヶ月以上を過ぎております。
過去、2年、年甲斐にも無くジムカーナにチャレンジしました。当初は自分でゼロから組み直したコンテツが一般路上では難しい走りを確かめたいと始めました。始めてみればその日には色々いい意味で改善点がボロボロ出ました。やはりモータースポーツは人車共に結果がすぐにでます。これが今持ってもっとも楽しいことです。
また、まったく新しい世界に飛び込むということが最初迷いあるいは良いのだろうかと、すなわち現車のジムカーナの場に50年前のクルマ、さらにとんでもなく若く無い輩が飛び込むということです。しかし、主催者、そして参加の皆さんの温かい眼差しにそんな迷いは吹き飛んだというものです、皆さんに大変感謝しております。
さて昨今の自動車社会の変化はコンシューマーの意識や想いとは関係無く、メーカーの一方的とも言えるような進化をし続けています。自動運転、そのためのAIだとか、ネットワーク化、各種のセンサー、電子化とソフトウェアのコントロールで動作するクルマ、あるいはソフトウェアによってドライブするクルマに豹変したがごとくです。
これに対しては一般庶民はまったくの受け身でありノーと言うこさえありません、あるいは言えません。まさに社会、あるいは国&政治がその方向に向かっているかごとくの錯覚をしてしまいます。
どうでしょうか?クルマ社会、それでいいのかと時折自問自答しています。確かに昨今のクルマは便利で非常に快適であること、身体的にも楽であり、1日何百キロかのドライブをしても何のストレスもありません。バックソナーアラームなんて良い例で、バックする前にリヤの位置関係を頭にいれればソナーの音の変化をたよりにバックしてしまう始末です。これこそがテクノロジーの進化で年老いた脳みそでも馴れてしまいます。
一方、50年越えの我がコンテッサには現代のクルマのように様々なテクノロジーもなくアメニティなんて夢にも描くことは不可能であります。
単に移動だけのドライブするだけならストレス=疲労度は一桁もの差があります。我がコンテツは空調&パワーアシスト無し、内装も防振・防音も無し、そしてサスも硬いと、無い無い尽くしの個体であります。
しかし、いつの日か、コンテッサ1300のような旧いクルマ達は、博物館の片隅で見学者からこんなクルマがあったのだと、展示目的で走ることもできない狭いスペースで金縛りにあったのごとくジッと見学者の目線を感じることになるのでしょうか?
単に見える部分だけを厚化粧をさせられてクルマ本来の機能である走る部分は封印されたのごとくであります。
自分がクルマ自身であったらならば、おそらくそんな状態に置かれることを許さないと思います。しかし、残念ながらクルマには、そのような意思はあっても、クルマ自身では意思を表現することはできません。
多くの博物館のような単なる展示目的はいかがなものかと思うものです。それではクルマを企画/設計/生産/販売したメーカーの施設でのクルマにも同様な思いです。
この憲章自体が、レストレーションのあり方にくさびを指すものです。それはHalf prototype Alfa Romeo Giulietta SZ Coda Tronca takes FIVA Preservation Awardにあるように、そこには日本のメディアでも報道されたアルファロメオがありますが、意味するところはクルマとしてどう残すのが最善の考えあるいは考え方を問うたものです。
コンクールのために、すなわち見せるために過度のレストレーションが行われ、本来の歴史&文化としてのクルマのあるべきものが失われてしまっているということです。当サイトオーナーとして、このようなトレンド、方向性は意を同じにするものです。
FIVAのインタビューにあるように、事実としては国々によってクルマ文化の歴史&発展に独自の生い立ちがあります。フランスはフランスなりに、イタリアは、米国はということです。歴史の長いそれら自動車先進国に比べ日本は1950年代の技術導入から生産中心の大量生産をもって短時間に80年代には生産台数ベースで世界の頂点を極めるようになりました。しかし、日本全国各地の自動車博物館が存在するものの真のクルマを保存する博物館は皆無でしょう (ホンダコレクション除く) 。
ヒストリックカーの維持についてはイベントなどの会場でも見学者から質問や激励を受けることが多々あります。現実はやはり、動体保存、さらにそれもFIVAのトレンドにあるようにそれ相応相応しいランニングコンディションであります。見せるだけあるいはコンクールに高い点を得るだけならな難易度は一番低いもので実に簡単であると考えます。
例えばトヨタ博物館のような展示保存且つ最低限車検を取るとか近隣に出向くなどの程度は難易度は中度程度でしょう。それでも走るという要素を加えると見てくれだけに比べて何倍もの努力が必要でしょう。そして当時、そのクルマあるいは個体に相応しく走らせることが多くの普段の努力が求められ、難易度は最も上で高度となるでしょう。これこそがFIVAの言っていることではないでしょうか?
やはり、ヒストリックカーあるいは旧車は「走ってこそ」であり、「走らなければ1/1のタダのプラモデル」と言えます。日本の経済発展&工業技術発展に大いに貢献したクルマたちをただ座らして人々の目にさらすだけではなく、今後のそのエネルギーを今だ感じさせる状態でいられることを願うものです。
以上、自車も日野自動車は開発・製造・販売した際のエネルギーを感じられるような状態で、”文化” として日野コンテッサ1300クーペを今年も走る所存です。
新年を迎えて:2017年
本来のコンテツの走りも知らないで "単なる" スタミナアップしていた。
ブレーキにダンロップ&10インチローター、
そしてプジョー204のシビエのヘッドライト!(1973年1月)
つくづく考えると車齢50年も超えたクルマ (=日野コンテッサ1300) によくも今だドライブすると自問自答してる場面が多々あります。
最初にコンテッサを購入したのはまだ学生であった1970年でした。その当時の50年前のクルマと云えば1920年代でそれはそれでとんでもないクラシックカー (例:Renault 1900 - 1930) となる訳で、その当時は20年も経てないMG TDでさえもクラシックカーのような扱いであり、自分の目からみてもMGも立派なクラシックでありました。
コンテッサ1300の生産中止は1967年ですから、1970年はたかだか数年、中古車として数年落ちで、購入には新車並みと言えませんが、最初に購入した個体はそれに近いクルマとして観ていました。
当時のことですから、購入しても、日常ドライブの不具合は織り込み済みであり、少々のトラブルは何の不安も感じないと云えばウソになりますが、そんなことよりも自分のクルマを持てた方が勝っておりました。
コンテッサ1300新発売当時の高校生のころから何年も憧れていたクルマを所有すると、当初は所有できた嬉しさだけが先行してたような気がします。そして最初は数年乗ればお払い箱とコンテッサに限らず当時の風潮あるいは常識のように考えていました。
その内に格好は良いんだが何とも走行性能に不満を感じてきました。コンテッサ1300ごときのクルマを早く走らせるというドラインビングの能力があるかないかは別です。友人のブルーバードSSS (410系) に乗ると、パワーに天と地の様な差を感じました。コンパーノ1000に乗った際も、クルマの出来はコンテッサの上を行っていると、すなわち軽快で静かでした。
決定的だったのは晴れて就職をした三島市時代の友人のホンダN600であり、上り坂でもコンテッサより遥かにパワー感と運転のし易さを感じました。そして日産のサニー1000クーペに至っては一コロであり、ヤンチャ気味ではありますが軽量と言うモノは凄いなと感じ、そして新しくなったサニークーペ1200GXに至っては三島から箱根への登り坂や下り坂はコンテッサの様に気を使うことなく非常に安楽にこなすというようなものでした。
これらは他人様のクルマで走った上での感触であり、スタイリングとかRRなどの要素は入っていません。しかし、やはり、パワーは魔物であり、ドライビングのインテリジェンシーも無いくせに若気の至りでコンテッサにもう少しパワーが欲しいと思っていたのは当サイトオーナーだけではないでしょう。
本来のコンテツの走りも知らないで単なるスタミナアップした。
当時主流の吸気音が官能的な2型の40PHHソレックスや
トヨタブリスカのエキパイと爆音ではないがメガホン!
それは所謂、74エンジン (1,400cc) だった。
確かにノーマルカムでは低速トルクが著しく増大した。
多摩地方の山間部でノーマルではサードに落としていた上り坂が
トップのままでオーケーだった。(1973年1月)
そんなことをしてる間に、コンテッサクーペ同士の仲間の付き合いが始まりました。
会えば、コンテッサクーペの話になるのですが、要は格好は良いが、走る (止まるも含む) のにやはりものたらなしさを感じていたことです。
そんな中で、日野がテストやワークス向けに使った74ミリのエンジンがあるとか、同様にダンロップの対抗型ピストンの10インチのローターを使ったブレーキがあるとかが明らかになりました。結果的に運良くそれらに換装するに至りました。
そんなことを進めながら、当初は数年の楽しみと思っていたコンテツも今年で何と47年目に突入すると、自分としても何故だと思うほど信じられない年数になろうとしています。しかし、上記のパワーの課題は、今、考えるとどうでしょうか?
さて、昨今のある種の旧車事情は、自分が考える以上に進展しているように思います。旧車関係の雑誌を開けば、人気車種を中心にドンドン進化しているようです。例えば、昔で百馬力余りだった車種が今では何十パーセントあるいは倍以上にと、イベントでも今300馬力、400馬力は軽くだせるなど豪語している風景もあります。
また、タイヤも昔は175/80-R14程度の車種が今では245とか255などの超扁平で幅広の豪華なホイールとハブまでもが強化されたものになっています。これが一部の世界では常識の様に広告が一人歩きしているが如く掲載されております。このトレンドは完全に自分のレベルを遥かに超えています。
また、少し旧いGTR (32/33) なんか400馬力が当たり前のような世界になっているようです。特にショートホイールベースの車は扱いが難しいものと推測します。おそらく経験を積んでない乗り手がドライブするとパワーあるが故のスピンなどアウトブコントロールを誘発するものと推測します。楽しい筈のドライビングはとんでもないことになるのではないでしょうか?
このような現象はメディアのメッセージ含めていささか嫌悪さも感ずるものです。すなわち、クルマの楽しさ、ドライビングの楽しさとかちゃんとステップアップしなければならないことを若い人たち (あるいは歳をとって初めてパワーのあるクルマを所有するなど) に教える、あるいはしっかりと伝えてもらえたらと考えます。
これらを考えていると、昔、コンテッサにパワーを求めたことは今では何とも馬鹿らしい気がします。それは次の二点です:
一つ目は60年代初めの60年近く前の設計のクルマにパワーなんかを求めるのはどだい無理ということです。せいぜい15%アップの70~75馬力程度が適切でしょう。上記のように何百馬力なんかのクルマと同じ様に走る状況には天地がひっくり返るほど不可能なのです。そんなことを考えてること自体がナンセンスです。
二つ目は、コンテッサ1300の本来のドライビングの楽しさを知ってなかったのではないと言うことです。要するにパワーの無いクルマで、如何に楽しくコンテツを楽しむかのインテリジェンシーです。
おそらくルノー日野の4CVからのオーナーは進化として分かっていたのではないかと、例えば、大先輩であった浜松の鈴木 隆男さん (故人) のお言葉は、「箱根の三島側の一号線の下りのカーブではアクセルを踏込め」などに代表されるのではないかと肝に銘じております。ひょっとしたら多くのコンテッサオーナーは古い新しいに関わらずそれをしているのではないかと推測し、しかし自分はまだその域にはありません。
要は上記の二つをまとめと、馬力が無ければ無いで、また当時同様に適切なる細いタイヤでそれなりにコンテツ本来の楽しさを自分の身の丈に合わせて新たに引き出せばいいことです。そのヒントは以下のようなものを参考にしています (ルノーR8の1,300ccはGTクラスなのでコンテツと性能の比較は難しいですが、数少ない小馬力のRRの教職本と考えます):
そんなことを思いつつ、昨年一年の当サイトオーナーのコンテツと共の歩みを振りけえる以下の様に三点に要約できます:
昨年のある時期から細めの155/80-R14タイヤを試し始めた。
今年もこれで続行したい。
今年も同様な戦略&計画です。イベントは昨年同様に地元貢献を優先に考えております。そして昨年同様、出来れば一度くらいは地方に遠征してみたいと考えております。
その場で適切なイベントがあればベストですが、本来の目的は未だ走破してない日本の道路&街をこの目で見たいと考えております。また昨年と同じ様に、地方のコンテッサ1300のオーナーをお会いできれば、これ以上のものはないと考えております。
そしてジムカーナは自分の能力もありませんので競技での勝負けは関係なく、自分なりのドライビングの楽しさの発掘と習得をしたいと考えます。
単にコンテツをドライブするということから一皮向け、次なる次元があるのではないかと、それもコンテツには無理を課さないでとそうなったらと考えるものです。
以上が、今年のささやかな希望であります。
新年を迎えて:2016年
1972年の正月、国道一号線、三島近く.周りも典型的な60年代のクルマたち
ここ何ヶ月か、あるいは何年か感じていることがあります。所謂、今でいう「旧車」というものが、あるいはその世界が変化しつつあります。ある意味では文化としての進化なのかもしれません。自分としては「旧車」とは毛頭考えてない1970年以来継続的に楽しんでいる当時の言葉の「マイカー」でしかない「日野コンテッサ」です。
当初、格好いいスタインリングとして乗り始めた時点から感じているのは、945kgの車重に基本55馬力と何ともひ弱で「走らないクルマ」ということに今だチャレンジし続けています。またドライビングには独特のインテリジェンシーが要求されます。
結果的に何十年も自分自身の進化なく生活の一部として、すなわちライフワークとしてあまり進歩することなく同じことを繰り返しているだけのようです。
そんな感覚では世の中の(旧車界の)動きについて行けないと感じさせらている昨今です。ここ数年をみれば、メディアや各種イベントに見られるようにクルマそのものへの考え方だとかオーナーの考えや層(年齢や社会的地位)など一変したと感じております。
代表的なものを分析すれば、一に乗るよりもイベントなど向けの行動が主体、二にクルマを自分でメンテナンスするよりは主治医と称されるような方法で維持、イベント向けのクリーンアップまでもそのように、三に欲しいクルマは市場から購入できる、そして四は多くが二台持ち、三台持ち、あるいはそれ以上、それも結構な大馬力車もと、大方そのようなもになります。
我が愛車は見てくれを綺麗にするよりは、乗って走ってこそクルマが望んでいることと考える当サイトオーナーとは大いに考えを異にするものです。
1971年の正月、コンテッサ1300S、現在、この場所にはルノーが鎮座している。
ここ何ヶ月か、あるいは何年か感じていることがあります。所謂、今でいう「旧車」というものが、あるいはその世界が変化しつつあります。ある意味では文化としての進化なのかもしれません。自分としては「旧車」とは毛頭考えてない1970年以来継続的に楽しんでいる当時の言葉の「マイカー」でしかない「日野コンテッサ」です。
当初、格好いいスタインリングとして乗り始めた時点から感じているのは、945kgの車重に55馬力と何ともひ弱で「走らないクルマ」ということに今だチャレンジし続けています。またドライビングには独特のインテリジェンシーが要求されます。結果的に何十年も自分自身の進化なく生活の一部として、すなわちライフワークとしてあまり進歩することなく同じことを繰り返しているだけのようです。
そんな感覚では世の中の(旧車界の)動きについて行けないと感じさせらている昨今です。ここ数年をみれば、メディアや各種イベントに見られるようにクルマそのものへの考え方だとかオーナーの考えや層(年齢や社会的地位)など一変したと感じております。
代表的なものを分析すれば、一に乗るよりもイベントなど向けの行動が主体、二にクルマを自分でメンテナンスするよりは主治医と称されるような方法で維持、イベント向けのクリーンアップまでもそのように、三に欲しいクルマは市場から購入できる、そして四は多くが二台持ち、三台持ち、あるいはそれ以上、それも結構な大馬力車もと、大方そのようなもになります。愛車は見てくれを綺麗にするよりは、乗って走ってこそクルマが望んでいることと考える当サイトオーナーとは大いに考えを異にするものです。
そんなことを考えている中で、例えば、ドライビングについて、Youtubeの番組で、60年代末期のレーシングカー、Porsche 917を運転することと、現代のPorscheを操ることは、“Different Discpline” と当時の有名ドライバーが述べる場面がありました。自分的には、“まったく異なる技術が必要” と解釈するものです。その際の解説にもあるように、917はまったくメカニカルなものでドライバー自ら操らねばならない、現代のクルマはすべてが電子化されておりクルマにある程度の知能(インテリジェンシー?)があるもので、運転技術が異なるというものです。結果的に如何にクルマを楽しむかの違いにもなります。
このことは50年前の我がコンテッサにも当てはまるもので、エンジン、さらにシャシーまでコンピュータ化された現代のクルマとはまったく異なる運転技術(これこそがインテリジェンシーか)が必要です。運転しなくともコ・ドライバーズシートでも同様に明確なフィーリングを得るものでしょう。
自分がコンテッサを運転し始めた46年前も多くのクルマはメカニカルなテクノロジー&設計のクルマでありました。コンテッサより少し新しいサニーとかスバル1000に比べればても、コンテッサのクルマの考え方は隔世の感 (要はコンテッサは旧い、未熟とか) がありました。
それが30数年前、例えば、ホンダ・シティなどの時代からは、シャシー・ドライブトレイン、アメニティや素材など含めて絶対的な隔たりを感じるようになりました。それが今日のクルマとなっては、天と地との差のようなものでしょう。すなわち、クルマは絶えず進化・変化しているのです。おそらく今となっては人間の方がクルマから胎教されてるようなものです。
1973年正月、成田山新勝寺お参り。マツダ、日産、トヨタ、今では人気旧車。
さて、これについて普段考えることは、自分のようは年寄りは幸いにも50年近く前にコンテッサを乗り出した訳で、当時の先輩からのコンテッサをどう乗るかのイロハ(インテリジェンシー)、すなわち現代の太いタイヤと強大なパワー&ブレーキ・コントロールでなく、細いタイヤと繊細かつ大胆なアクセル&ステアリング・コントロールなどを聞いて自分でも試し楽しんだ訳です。
その際のフィーリングは退化しつつも今でもDNAの如くなっており、ついてはコンテッサを楽しく乗るためにどうしたらら良いかということもそれがベースになり未だ試行錯誤してのです。
おそらく自分たち少数の輩はコンテッサに限らず半世紀前の現実がベースになって、現代のクルマも少し時代遅れの脳みそで楽しむことになります。
ところがどうでしょうか?圧倒的に大多数を占める比較的最近あるいは最新のテクノロジーを持ったクルマのフィーリングがDNAになった若者や新規オーナーが50年前のコンテツを新しく乗り始めたらどんな印象をもっているのかは非常に興味あるところです。おそらく全く異なったものと推測します。
どちらか良いかという問題ではありません。すなわち、時代が変化、所謂、「旧車」ヘの接し方がおおいに変化したということです。それは自分たちあるいは先輩たちの知恵を昨今の新しい旧車オーナーに伝えなければならないと同時に、旧い脳みそを持った自分たちは、積極的に若い人たちと意見を交わし、逆に学び自ら進化しなければならないと考えます。
1978年正月、雪に埋もれたコンテッサ。都心郊外では想定外の大雪だった!
そんなことを感じつつ「日野コンテッサ」を相変わらず愛用しています。世の中では、「旧車」という基準ではどこのイベントでも多くはGTRとか2000GTなどにスポットライトがあたり、またホンダS系やトヨタS800などがメインストリームであり、ただただ珍しいな、よく走っているなと交わされる「日野コンテッサ」です。
一般的な旧車市場でもあまり流通もしないし、その昔から伝説的なストーリーもあるいは当時の富士スピードウェイや鈴鹿サーキットなどの輝かしい戦歴もありません。メディアの商売のネタにもなりません。まして、市場での販売は2〜3年と短期間であり、補給部品も戦略を持って絶たれ、一般的な評価すれば、おそらく日本車で最も維持が困難な「日野コンテッサ」であり、それは米国の A型フォードなんかよりも何倍も維持が難しい「日野コンテッサ」であると考えます。
まとまらない文面ではありますが、2016年、50年を経てしまった「日野コンテッサ」ではありますが、当時の進化・改良などなくして世を去ったクルマなので、如何様にでも進化させることが可能であります。それがコンテツにとって本望であり、オリジナルなどということを憚ることなく改善を進め、日野自動車が出来なかったことを盛り込み、さらに進化させて現代でもどのクルマにも負けない馬力だけではない「Fan to Drive」なクルマを目指して、自分で自ら「いじる、乗る、そして悩む」ということをクリエーションしながら今年も進めて行きたいと考えます。