[ボプ]
ピートがピットで車を修理していた頃から、私は徐々に同クラ入の他車との差を開いて行き、スタート後2時間目に副ドライパーと交替のためピットインしたときには、次位のミニを1周と27秒りードしていた。ここで私の車はテイマナス君に引継がれたが、彼はレース前たった3周の練習走行をしたヾけなので、てんでこの車に馴れて居らず、そのため私よりも大分スピードが落ちざるを得なかった。折角私が奪いとったリードを、ミニはこの機に再び次第につめ始めて来たのだ。一方ピートはその後もどこかを直すためにもう一度ピットインしたりして、最早全く絶望的に圏外に去ったものと見られた。ただ、既にレースを完走する見込みすらないと思われるのに、なお且つこれ程むざんにつぶれた車を駆って走り続ける彼の猛烈なファイトに、観衆は皆盛んな声援を恰しまなかった。
だが事実は、驚くぺきことに彼の車のエンジンは、あれ程の大事故にも拘わらず何の傷害も受けてはいなかった。のみならず実に素晴しい調子で廻転し、1周2分を僅かオーパーするだけというハイ・ぺ−スで着実に周回を統けていた。もとよりミニもその他のクラスCの出走車も、ピートからは遥か先を走っていた。
だが従は誰も気づかぬうちに、早くも徐々にしかし確実にこれらの車との大差をつめ始めていたのだ。
この頃、しかし災難は再び吾がチームの上にふりかかって来た。私の副ドライパーであるティマナ入君が、ピットの前を煙を吹出しながら通過して行く。見れば私の車のエンジンはひどくがたついているではないか。次のラップでこの車はシリンダーが二つだけになってピットインして来た。あとの二つはピストンが破壌してエンジン内部で粉砕し、それを完全に壊してしまったらしい。2時間あまりも第1位を椎持して来たこの車も、かくてとうとう退場のやむなきに至ったのだ。望みの綱もきれ果てて、がっくりとした吾々一同は、もはやこれまでと、すんでのことにピートにサインを送って彼をも退場させようとしたのだが、たとえ彼のひしやげた車でも、せめてエンジンが吹飛ぶまでは走らせるべきだと考え直し、退場のサインだけは思い止った。しかし、事実はそれから2時間たった後も、ピートの車は奇麟的にも、依然としていとも強力に走り統けていたのである。
完壁な走行ぶりじりじり迫上げ
[ピート]
あれ稚ひどい目にあわされたのに、私のコンテッサの走りぶりはまさに完壁そのもので、私は再びしりしり上先行車を追い始めた。一方ポプの車はどうしたことか次第に速度が落ち、遂には走行を断念してしまった。勿論そこでミニが首位に立った。ミニクーパーのチームは私の車が完走出来るなど、は夢想だにもせず、彼等の競争相手としてはもとより完全に無視していただろう。彼等のこの判断がどんなに甘いものだったか、やがて彼竿ほ思い知らされるのに!事実、ボプの車が退場してからは、彼等は若干ペースを落としていた。コースの気温は約38度もあり、ミニも相当過熱していたから、2位のアングリアよりは僅かながら速度が勝っていることでもあり、若干ぺ−スを落して少しでもオーバーヒートを防ごうとしたのだろう。MG11OOはとうの昔に過熱のため命数つきて退去して居り、一方2台のワーゲンは、先行車がすべてを壊してリタイアし、これによって自分達が1位と2位に繰上ることだけを期待して、いとものんびりとコースを廻っていた。
驚異!17周の差を挽回 - 「アクセルも折れよ」最後の突撃
[ピート]
午后4時少し前、私は副ドライパーのジョンソン君と交替すべくピットインした。燃料を補給し、タイヤやオイルを点検したか、何一つ異常なく一切が完ぺきで、彼は勇躍車を駆って飛び出して行った。私の車はコースの混みぐあいにより、2分3秒ないし5秒のラップタイムで走リ統け、1時間の後には遂に2台のワーンを抜いて第3位に上った。この項になると、先行するアングリアは次第にペース守れなくなり、速度を落として走り始めた。そこで吾がクーぺは徐々に追上げ開始し、午后6時少し前、とうとう私はピット前を通過するジョンソン君に「P2」のサィンを褐げ、今や吾がコンテッサが第2位であることを知らせたのだ。一方ミニクーパーのチームは依然その勝利を確信して自信満々、迫上げられる危険など全然気付いてもいなかった。
午后6時かっきり、ジョンソン君はその驚嘆すぺき素晴しい走行を終えてピットに帰って来た。2時問にわたる周回の大部分のラップタイムが僅か1/2秒以内の差異しかをいという抜群の正確さ、しかもそれを回転計なしでやってのけるとは!私の車は−否、私の車の残骸はというべきだろう−何もかも完壁の状態だった。そこで私はほんの僅か車を止めただけで、す早くハンドルをとり、このレース最後の1時間半を走行すべくスタートした。事故の後、再出発した際のミニに対する遅れ17周の中、これまでに既に12周を取返していたので、私の追付かねばならない遅れはあと5周だけだった。
私の妻は日野KMパンの屋上に陣取って、懸命に周画表を記入し統けていた。このおかげで吾がチームは、レース中の自分のポジションを刻々正碓に把握していた。これに反してミニチームの方は、競技場の公式記録に頼っていた模様だが、この公表順位がポストに掲げられるのは、計時買による確認その他の関係で、いつでも約20分程も発表が遅れるのだ。時間は刻々と経過し、2−3ラップはまたたく間に過ぎて行く。もう直ぐだ、今一度ミニにくっついてやる。この頃になって、さすがにミニチームもようやく心配になって来たらしい。彼等のピット・サインは走行中のドライパーに「もっと急げ」と告げ始めた。その心配がいよいよ高まると、彼等はわが方のピット・サインをえらく気にして注意しだした。ラップ毎にどれだけ相手との差をつめたか私に正確に解らせるために、ピットからジェフが各ラップの迫上げタィムを秒で示したサイン・ボードで私に知らせてくれていたからだ。
午后7時少し前、ミニチームほ車をピットインさせ、速い方のドライバーと避手交替を行い、また若干の燃料補給をやったらしい。だがおそらくこれが、彼竿にとって結局命取りになったのではなかろうか。彼等がピットインしている間に、私は殆どまるまる1周もミニとの差をつめてしまったのだから。ジェフからのサインと、自分の頭の中での計算から、この瞬間私はあらん限りの全速走行を開始した。最后の突撃だ!吾がクーベのエンジン音は全く快調、しかも夕幕れと共に気温は急速に下り、加えてレー入も終幕に近づいて今や残存する車の影もまばらとなり、最早コース上の混雑も殆どなくなっていた。
遂に奇跡の逆転勝 - 数メ−トルの差でトップに
[ボプ]
思いもかけぬレース展間に、ピットはただ狂気のような声援だった。先すピートはいとも強力且つ無類の冷静な迫走で、選手交替までに同クラスのその他の車をすぺて抜き去り、いつの間にか第3位にまでで上って来た。ここで交替したジョンソン君が、これまた2時間のまさに驚嘆すぺき見事な走行をやってのけ、最后に第2位のフォード・アングリアを抜き去って、このぐしやぐしやにつぷれた日野クーペを遂に第2位の地位に進めてしまったのだ。そこで再びピートの出場、あとは5ラップを先行するミニのみ。しかもミニは燃料補給か必要なのに、わが方は新規の大型タンクのおかげで補給なしで走り切れる筈なのだ。レース終了まであと1時問、ピートはミニに遅れることニ周半とつめ奇った。ミニは必死で逃げ、その走行は依然強力だが、ピートは更に力強く、今や1周5秒の割で猛烈な追上げを間始した。余すところあと15分、ピートは遂にミニと同一ラップを走つている!
[ピート]
なおも私は襲撃を続けた。そして最後にはコーナーでのアウト・ブレーキングによってミニをかわそうとし始めた。(注、カーブ前で減速せず他車に先んじてコーナー深く突込み、そこで軽くブレーキして急角度に廻る、危険だが有効なコーナリングテクニック)ミニはまるで気でも狂ったかのように、エンジン全開で今一度私のそばをすり抜けた。第6コーナーにさしかかったとき、彼は二車身ほど私の前を走っていた。その瞬間別の車が油で滑るトラックの上で横すべりを起し、危機一発の混戦の中を私が辛うして抜け出す間に、ミニは更に二車身ほど差を開いて先へすり抜けて行った。ひやりとする一瞬。だがもうあと2周しかない!日野から送られら貴重な腕特計はもう直ぐ7時30分を指そうとしている!ミニは何とかして逃げ切ろうとこん身の力をふるっている。それでも私は最終ラップで遂にミニの直後に迫いついた。バックストレッチの直線コースでは、彼はなお終始私に先行した。彼も私から逃げられず、私も彼を追抜けない。そのまま遂に最終コーナーに突入。私はアクセルも祈れよと踏み続けつインサイド深く突込み、アウトブレーキした。トラックはひどくつるつるで、私の車はほんの僅か横すベリして、ミニにつき当った。ここで何であれ私が奇りかかれるものがあったことは実に幸運だった。さもないとミニはこのカーブから立上りざま、私の車を抜き込したかも知れないのだ。しかし事実はこれがすぺてだった。最終ラップの最終コーナーでミニを抜き去り、数メートルの差で、私は遂に勝ったのだ!