日野自動車は大型トラック&バスに加えて、前年、1953年からフランスのルノー公団のRenailt 4CVのノックダウン生産の始まったルノー日野も鋭意紹介した。 以下は当時のガイドブックからの抜粋である。まだ写真などグラフィカルなものを使った表現も皆無だった。
ガイドブック(下記)を見ると、今では趣きを感じるモノクロのイラストである。ルノー日野(PA55)の絵の大きさからもその当時の意気込みを受け取れる。 1955年がらルノー日野4CVのフロントにはフランス仕様同様、実用的なフォグランプ&クラクションが配備されていた。今もって、粋を備えた機能美である。
この年は東京オリンピック、景気・経済も登り坂。日野自動車羽ショウ直前の9月に新型車、ミケロティイ・デザインと待望の自社開発GR100型エンジン登載のコンテッサ1300を社運を賭け発表・発売開始。 モーターショウではセダン&クーペ、計8台を展示。10年先でも通用するデザインとトリネーゼ・スタイリングを強調。
コンテッサ1300デビューから30年あまりを経て、日野自動車はテーマ館「夢と冒険を乗せて走ったくるまたち」に1967年米国レース向け(当時の対米輸出計画の希望の星であった)に米国で開発された競技車両(コンテッサ130クーペLベース)を展示。 歴史から消えかけた日野の乗用車戦略を記憶の彼方から蘇らせ、会場の華となった。
(SE)