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寄稿
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ロダンとヒノサムライ
なぜRRか? (E)
「L」の検証
日野GR100エンジン「擬似検証」
日野GR100エンジン「擬似検証」(続)
コンテッサ900スプリントに念うこと
Nissan GTPと日野コンテッサ
デンバーのスピットファイアのシニア夫妻に学ぶ
THE HINO SAMURAI By Ron Bianchi (E)
74の系譜 - Knowledge Transformation (E)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その2)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その3)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その4)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その5)
日野コンマースの話題
ルノーとの比較
米国ロード&トラック誌にコンテツが登場!
伯爵夫人の香り:日野コンテッサ900スプリント(極上の時間)
当時のコンテッサ乗り: それは「退屈へのレジスタンス 」
日本に於けるルノー日野 4CV スペシャル (E)
PD300コンテッサクーペカークラブ(日野コンテッサクラブ)の思い出
納得ある情報のもとに判断:原子力発電所の危機による放射線濃度
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日野GR100エンジン「擬似検証」


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 本寄稿にあるようにコンテッサ1300クーペ「L」の検証を試みた。ここではは恐れ多くもコンテツの心臓部のGR100についての検証を試みたい。


【GR100型エンジン:65PS/5,500rpm】

 コンテッサ1300は実質上2年数ヶ月と他に類を見ないほどの短命さであった。シャシー/足回りやトランスミッションについては、ルノー4CVの模倣としてのコンテッサ900の熟成を図ったものであり、それなりの進化があった。しかし、肝心のエンジンについては、コンテッサ900はルノー4CVの延長と言ってもよいが、コンテッサ1300のGR100については、過去を断ち切ってのかなりの日野の新たな挑戦を含んだものとボクは考える。

 その背景には、エンジンは伝統的に産業の核を成す技術であり、それは世界的に明白であり、日野自身の技術を確立するための日野の大きな挑戦であったと推測する。GR100は日野自身の新設計となり、幾多の実験が繰り返し、今から丁度40年前の1964年9月に市場に投入された。しかし、その後は運命的に短い生涯だった。

 多くのエンジンの歴史を見ると何十年と熟成が成されている。代表的な例は戦後間もないオースチンのエンジンは日産(A型)にも引き継がれた。現行ランドローバーのV8エンジンは1962年のBuickに遡る。また、コンテッサ900が模倣したルノーのエンジンはその後、脈々と80年代のサンクまで引き継がれている。いずれも30-40年と息が永い。

 なぜこんなことを言ったかと言うと、色々新技術が盛り込まれたGR100であったが、初期トラブルの設計変更は別として、現場(すなわちユーザー&ニーズ)での実践での熟成を取り込むべくもなく、市場から去らざるを得なかった。ある程度の進歩があるとすれば、トヨタブリスカに搭載したG型(基本的にはGR)に見られる程度である。市場での評価を得る間もなく消えたエンジンである。また世の中に役立ったと言う生産量についても世界的にみれば極めて少数であり、結果的に商売として原価を見れば、コンテッサ1300の他の部位に対して多額の開発費であったと推測する。

 事実、40年を迎えても、20万kmを超えても、オーバーホールなしで元気にハイウエイを飛ばしている諸姉は少なくない。結果的にどうみるべきか?完成されたエンジンだったのか?それとも単に運が良かっただけか?

 本題である、ボクは米国のドラックレースのエンジンチューナー屋が創っているパソコンでのエンジンチューニングのシミュレーションソフトウエアを気に入って遊んでいる。今回、「擬似検証」、すなわち、このシミュレーションであり、コンピュータ技術を使って、「GR100の検証」をしてみよう。 

 最初は試しに、検証1として標準のクーペ仕様をシミュレーションしてみる(表:標準仕様を参照)。表から分るように約70馬力/5000-5500rpm(SAE)を提示する。カタログ表記の65馬力はDINであり、当時も確かSAE表記では68馬力(だったと思う)、このシミュレーションは中々なものである。トルクのピークも3000-3500rpmと一致する。40年前のエンジン、いや設計では45年前か、シミュレーションなんかも無かった時代である。パソコンではあるが最新のソフトウエア・シミュレーションがホボ同じアウトプットを瞬時に出すという事は感動ものである。

 検証2。スポーツキットを装着したらどうなるだろうか?ソレックスキャブ、少し高回転型のカム、9.3 に上げた圧縮比、72.2mmのボア、そして直管に近い公道仕様の排気系である。当時の非公式なデータは、単なるキット装着でおよそ13馬力アップの78馬力(DIN)となっている。一方、シミュレーションの方はと言うと、これまた80馬力強(SAE)でホボ、ドンピシャである!(表:スポーツキット装着参照)しかも当時のデータ通りにちゃんとトルクのピークが4000rpmあたりに移動し、馬力のピークも高回転になっている。尚、ポーティングなど更なるチューニングについてはここには含まれてない。

 ここまで来るとこのシンプルなソフトウエアは素人目にも信頼がグンと上がる。そこで、当時から多くのコンテツ走り屋や伝説の常勝コンテッサバギー軍団(野田の針ケ谷兄弟と清水の都築兄弟)が密かに試みていた禁じ手の75mmボアアップを検証3としよう(表:ボアアップ(75mm)参照)。およそ5000rpmくらいまでトルクアップのおかげで10%ほどの馬力アップである。信頼性を考えれば思ったほどの効果ではない。しかし多くの75mmピストン使用者は吸排気系の改良を同時に行っているので更なる数値が出ているだろう。

 検証4。試しにBRE製のストローカーエンジン(表:ストローカー参照)。当時の日野のベンチでは5500rpmで98馬力(DIN)、4000rpm以下は使えるものではないと記されている。これまた、シミュレーションもその通りの結果がでている。シミュレーション上の最大出力は7000rpmでおよそ120馬力(SAE)。日野の実験値は5500rpmが最高回転、これは当時のGR100開発者の経験値として、ピストンスピードその他の条件でそれ以上は回さなかったようだ。装着されているカムなどを考えれば120馬力のエンジン、しかしそこまで絞り出すには色々な課題があったものと推測する。

 さて、最後に検証5。今回のテーマのゴールである。たった2年しか市場になかったGR100も延命したならばもっと力強いエンジンになったと想いたい。幸いなことに我々はそれが出来るのではないかと、開発から40数年経た今日でも考え実践している。そんな想いで、一般的に出来る72.2mmのピストン、吸入バルブ径アップ、カム(およそ280度)、吸排気系などの改善を図ると、「表:可能性」にあるような結果が得られる。標準のGR100の様に低速トルクを犠牲にすることなく、7500rpmで120馬力強(SAE)を絞り出せる。こんなエンジンが欲しいものである。当時のミニのドニントンやルノーのゴルデーニエンジンと似たようなものかもしれない。

 GR100としてまだ様々な課題はあるものの他のOHVエンジンのように努力すれば約2年の生涯を超えた世界を現実のものにすることが出来る。日野としてそれが時間的制約で出来なかっただけである。我々は現在それが可能であることをこのエンジン・シミュレーションは教えてくれる。

 門外漢が勝手な意見を書いて申し訳ないと思うが、ぜひGR100設計者の鈴木博士のコメントもお聞き出来ればと思う。また、日野がGR100以降の新設計を試みたYE47&YE57エンジンも機会があればシミュレーションしてみたいものである。

【エンジン・シミュレーション:馬力】

【エンジン・シミュレーション:トルク】

【エンジン・シミュレーションの画面例】

本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて)

(江澤 智、千葉県松戸市、2004.9.23(改訂)、2004.8.15(オリジナル))

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