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寄稿
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ロダンとヒノサムライ
なぜRRか? (E)
「L」の検証
日野GR100エンジン「擬似検証」
日野GR100エンジン「擬似検証」(続)
コンテッサ900スプリントに念うこと
Nissan GTPと日野コンテッサ
デンバーのスピットファイアのシニア夫妻に学ぶ
THE HINO SAMURAI By Ron Bianchi (E)
74の系譜 - Knowledge Transformation (E)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その2)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その3)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その4)
Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その5)
日野コンマースの話題
ルノーとの比較
米国ロード&トラック誌にコンテツが登場!
伯爵夫人の香り:日野コンテッサ900スプリント(極上の時間)
当時のコンテッサ乗り: それは「退屈へのレジスタンス 」
日本に於けるルノー日野 4CV スペシャル (E)
PD300コンテッサクーペカークラブ(日野コンテッサクラブ)の思い出
納得ある情報のもとに判断:原子力発電所の危機による放射線濃度
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日野GR100エンジン「擬似検証」(続)


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 日野GR100エンジン「擬似検証」に対して、「The Father of the GR100 (生みの親)」である鈴木博士から「エンジンの生涯」として、GR100エンジンが長生きしていたらどの程度の効率(出力)を得たかについて次のような貴重なご意見をいただいた。世の中で十分活躍したエンジンの寿命はおよそ20-30年、そして 生涯で2倍程度の馬力を得る。よってGR100も120馬力以上にと、最終形で160馬力(これはおそらく1600cc)と心強い回答だった。気持ちよくなった勢いで我々は「育ての親」として、これからGR100に今後も息を吹き込めたい。本当にありがとうございました。

 ところで、GR並びにYE28(日野プロト)開発の技術者は、日野のガソリンエンジン撤退後、ホンダに移籍した。当時のFIエンジンを含め担当したことは公にはあまり知られてない。ホンダもそのようなことは自ら言わない。ボクの推測では、S500ベースのエキセントリックなグランドデザインを一般的は工業製品に進化(または改革)させる担い手の中心になったのではないかと考えている。その裏付け(推測)として空冷の1300は空冷ながらかなり急激にコンベンシャルなエンジンに変化出来た。しかもボア*ストロークはYE28と一致するし、同じドライサンプだ。その後の水冷はボア*ストロークが72*82mm(1300cc)となり、GR100と同様なロングストロークであった。ホンダのエンジンとして世界中で長い間活躍している。

 これを考えると会社は異なるがモノづくりの技術(人そのもの)が絶対に継承されていると考えたい。そんな意味で日野では2年余りのGR100であったが、そのDNAは脈々と生きていると信じる。

 もう一つ、当時、コンテッサの足回りの技術者もホンダに移籍している。空冷の1300からホイールがコンテッサと同じPCD 120mmになった。これは単に偶然の一致と考えられない。ホンダはその後シビックに転用し、さらに軽自動車にも転化した。おそらく治具など原価償却面で優等生だったに違いない。

 技術者は事業(会社)戦略に沿って、自らの経験と裏付けを持って新しい技術と共にモノを創る。ホンダは技術者を得て、莫大な開発費の節減と開発期間短縮を実現した筈だ。これらは技術の伝承でもある。こんな風に見るとコンテッサは2年余りの寿命ではなさそうだ。

ホンダシビック用エンケイ・デッシュ(5JX13)使用例
ホンダシビック用イタリアFPS(5JX13)使用例

本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて)

(江澤 智、千葉県松戸市、2004.11.13(改訂)、2004.10.11(オリジナル))

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