【戦略面:市場背景】
当時の日本、小型トラックの発展と共に日産のキャブオールなどに代表されるようにキャブオーバータイプのコマーシャルカーの伸びも急上昇して来た。乗用車を基としたボンネット型と、トラックを基とした屋根を設けたキャブオーバー型の二つが当時市場にあった。しかし前者は積荷容積や荷物の積卸しが相当の制限を受け、後者はクッションが悪いために高級商品の運搬が不適だった。
日野自動車のコマーシャルカーに関する市場調査は:
- 一回の運搬重量は500kg以内でよい
- しかし、広い容積とクッションの良いバンを欲している中小企業、商店等が相当多い
- 最近頓に発達したものにマイクロバスがあり
- しかし、トラックのシャーシにボディを架装、床も高くクッションにも限度があり
結果として、(1)マイクロバスが乗用車に近い乗心地や走行安定性になれば、旅客送迎用や連絡用その他に需要面が更に増加する、(2)さらに当時の日本では高級商品用バン、少人数用バスの本格的なものが出遅れあり、結果的にこの方面の需要が強くなるものと予測。ドイツのフォルクスバーゲンが商品用にも人員用にも向く独特のトランスポルターを生産あり。以上のような動向を参考にし、日野コンマースを企画した。
1957年(昭和32年)に設計企画着手した。まことに単純明快な設計方針は:
- 低床式モノコック・ボディ
- フロント・ドライブ方式
- 四輪独立懸架方式
1959年4月(昭和34年)試作1号車完成、数台の試作車をもって各種性能試験及び悪路耐久走行試験を進め、1960年2月発売に至った。企画からSOP(生産開始:Start of Production)におよそ3年と当時としては極めて短期間であった。
日野自動車は、フランスのルノー(Estafette、1959年発売)他(ドイツのテンポ)に於けるこのコンマースと同一思想の低床式フロント・ドライブのバンを発売を知ったのは試作車完成後と当時公にしているのは興味をさそる。また日野と関係があるルノー公団は、バンに於いても相互の話があるかに憶測される向きについて、技術提携した車以外は一切秘密であり、バンに於いては何の関係もないとしている。また日本、フランス、ドイツ共企画方針は同様、設計構造は似て非、各部の強度は日本の国情から日野製の方が強靭であると公表していた。そしてドイツ、フランスでも日本と同様の企画が同時に行われたことは日野として極めて興味深いとも付け加えている。
発売当時の日野コンマースの基本車種:
- PB10型 2人乗500kg積
- PB10-A型 5人乗り300kg積
- PB10-P型 10人乗 乗用車
- PB10-B型 11人乗 ミニバス
寸法:全長:3,940mm 全幅:1,690mm 全高:1,910mm(標準型バン)
ホイールベース:2,100mm
重量:1,035kg(標準型バン)
エンジン:836cc、28PS
積載量:500kg
これらは、日野のクルマ:カタログより、日野コンマース(PB-10)及び主要諸元を参照。