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クルマ
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ルノー日野(1953年)ノックダウン生産
コンテッサ1300クーペ:デラックスモデルとスタンダードモデル
参考:戦後の日野の乗用車のお手本、フランス・ルノー公団:ルノ−4CV(初期の米国向けカタログ)
モーターショー・スペシャル(東京モーターショー、50周年記念)
日野コンテッサ900 スペシャル(誕生50周年(2011年2月)記念)
生産台数
日本国内都道府県別登録台数
日野小型車グローバル・センサス(調査)プロジェクト
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ビデオクリップ
日野コンテッサ1300コマーシャル映像
トヨタブリスカ1300(現存)
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日野のクルマ:日野コンマース・スペシャル - 販売状況&市場の声
(誕生50周年(2010年2月)記念)



販売状況&市場の声

《新生活提案:軽快・低廉・万能》

 特徴、(1)使い易い低床式、(2)日本初のフロントドライブ方式、そしてトーションバー使用、(3)乗用車と同様の優れたロードホールディング、(4)小さな回転半径(4.8m)、標準バンは普通貨物の輸送はもちろん、テレビや電気冷蔵庫等の高級商品や、誇りをきらう食料品、衣料品の運搬に最適、またミニバスは旅館や空港の送迎、ドライブクラブ、少人数の観光旅行、連絡車、またボデーの若干の改造で病院車、商品輸送車、宣伝車など応用可能。

 まずは、日本では全く新しいコンセプトであるこの日野コンマースの使い方を細かく提案することから始まった。今日で言えば、典型的な「プロダクト・アウト」の戦略だった。

当時の典型的なモダンライフの象徴であった「団地」をバックにした期待の日野コンマース(場所は、日野工場近くの多摩平団地)。冬の陽にあたる布団が如何にも当時の生活を診る、今必要なエコでもある。

《小回りの良さをアピール:8の字ターン

 4.6mの最小回転半径の小ささをアピールしたデーラー&顧客向けの販売開始時の日野ニュース(1960年4月、No.37)。4.6mと言う数字は現代の欧州系フロントドライブ車でも中々ない小回りの良さ、もっともホイールベースの短さも貢献しているだろう。

「小回りのよい字、8の字は右に左にくるくるまわれば、8の字また踊る。青葉の蔭の8の字に五月の風が吹いてくる。」、難しく考えるとよく解らなくなる、しかし最も春先の4〜5月に刊行された言う季節感をもって味わえば納得かな。

《新生活提案:第7回全日本オートショー》

 販売開始後の1960年(昭和35年)秋の第7回全日本オートショー(現在に続く東京モーターショー)の於いて、各社の新型乗用車の展示がひしめく中に日野は異質と言うべきあるいは新鮮と解釈すべき3台のカラフルなコンマースを持ち込んだ。そのメダマはモダンライフを象徴すべく夢のようなキャンピンピングカーだった。

日野コンマース・キャンパー:「日野コンマースの極めて低い、広い車両を十分に活用して作った自動車旅行のための車。二人分のベッドシート、ガスボンベ、ガスレンジなどを備え、炊事、宿泊なんでもOK。ベッドをおこせば4人掛けのシートにもなって、海や山へのレクレーションに大変便利」と当時の日野のフレーズだが、今でも新鮮である。因みに価格は120万円。右のイラストは当時の日野ニュースに掲載された永井 保氏(漫画家,2004年没)によるモーターショーのエッセイリポートの中のコンマース・キャンパーの素晴らしいイラスト。

《熱帯・山岳の冒険にお供する:インド学術探査隊》

 1961年11月、 中南部インド学術探査隊(東京新聞社&日本熱学医学会共催、隊長;西丸 震哉氏)が日本人の熱帯での生活するための諸条件調査、現地住民の嗜好感覚の調査、古代文化遺産の調査、熱帯医学・風土病の調査など)に2台の特別仕様(改造はヤナセ自動車が担当)の日野コンマースが提供された。隊長を含め6人の隊員と二人の日野社員(日野自販のサービス担当と日野自工の検査担当)が熱帯&山岳地帯を数ヶ月探検する足であり、またねぐら・生活の場、さらに研究室、現地での病院となる貴重な役目に供された。

1961年11月24日、インドに向けて横浜港中央埠頭からCalcutta Maru(かるかった丸)への乗船を待つ日野コンマース。この冒険旅行は日野の小型車が国際市場に進出するためのデモンストレーションをする重要な十字架を背負った。

《日野コンマース・クライスラー:立川ドラッグ》

 これはいささか、「番外編」であるが個人的に好きな方向なのでここに公開したい。日野コンマースが市場から消えて数年後、当時の米軍基地の立川飛行場に登場したクライスラーのヘミV8搭載したドラッグスターである。小さな日野コンマースの荷室に826cc、28馬力のエンジンに替え、1957年のクライスラーのV8 292HEMI、圧縮日9.25:1、325馬力を搭載してしまった。もちろん、駆動系&足回りも移植であった。リヤは下記のイラストの通り、オーバーフェンダーである。目標は13秒台だったようだ。

米国ではこのような姿は極自然である。ダッジバンとかシェビーバンのドラッグスターは定番であり,週末の飛行場などでのゼロヨンでフロントタイヤを宙に浮かしてゼロヨンを競うのだ。果たしてこの日野コンマースにそんな姿が見れたのだろうか?しかし、軍隊と言う中で週末にこんな遊びをしてしまう、羨ましい限りだ。しかもそれは今も同じように続いているようだ。左のイラストはこのモーターマガジンの記事を執筆された碇 義郎氏によるもの。このスタイリングは今でも格好イイと思う。

(SE、2011.1.28 Original)

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