2009年度のJCCAのニューイヤーミーティングのイベント参加を久しぶりにしました。12月末から外装の磨きをして何とか間に合わせました、というようは時間制約の中で出来ることだけをしました。日野車のコンクールだということであったものの、日野コンテッサクラブも辞めたこともあり、全くの自分の楽しみとしての参加することだけが目的でした。無欲が功を奏したのか、審査員に対するプレゼン(これが日野コンテッサ:素顔の伯爵婦人(厚化粧&整形美容なし))が功を奏したのか、結果的に奇麗な他コンテッサ・エントリーを尻目にサビサビバンパーでもカーマガジン賞(事実上、コンテッサに対する賞はこれ一つだった)をいただいてしまいました。
まったく個人でコンテツを楽しむために今回のニューイヤーも無欲で参加したのですが、それで充分なのです。しかしこの結果は想定外とも言える程の大きな報酬だったと思います。自分が正しいと思うことを行動すれば、何か結果が出るんだなと、この歳でも感じました。大いに勇気付けられるものでした。良い一日でした。
そして今回、ニューイヤーの場でコンテッサを並べてあらためて気づいたこと(実証)があります。それはクルマ、すなわちコンテッサには3つの姿、あるいは種類があるのだと気がつきました:
- デザイナーの意思を転写した個体、すなわちオリジナルのモックアップ:ミケロッティ製プロトモデル
- そしてプロトモデルを生産技術なりの理解&展開で転写した個体、すなわち生産モデル:日野の工業製品としてのプレスマシンによって造られた当時の販売車(但し、生産初期の型がまだ奇麗なシャープな形状とその後の方のメンテ&修正されエッジが甘くなってしまったプレスがあり、厳密な意味でここでは初期の未修正の型を差す)
- 数十年を経て、単に奇麗にするためのレストアで鈑金屋とオーナーの利害関係と創造力を転写した個体:ハンマーとパテによって新たに作られた整形美容車
と、感じた次第です。ボクらの年齢では幸いに二つ目の当時の販売車で頭の中に記憶されています。しかし、最近の多くのコンテッサは三つ目の整形美容車になってしまったことです。鈑金&塗装の技術力の問題とも思われますが、元のプレスの形状&ラインが甘いというが曖昧と言うか一見は奇麗ですが、鉄板をプレス、すなわち「日野が造った工業製品」には見えない、ボクの解釈ですが、そんなように思えて来ました。これは一般には理解が難しいことと思いますが歴史的価値を考えると重要なことと考えております。機構系を進化させることはテクノロジーの進化や当時の設計と言う面で賛成ですが、クルマの形状については工業製品なのでそこを尊重すべきと強く感じた次第です。