1975年5月、当時のTACSが筑波サーキットで旧車の走行会を開催しました。MG TC(当時の千葉県議の中村 正三郎さんなど,最近では袖ヶ浦フォレストレースウェイなどに尽力,数少ないクルマエンスー且つモータースポーツに理解のある政治家であり、ご自身で改造&チューンの格好イイ、グリーンの個体、エンスーにとってはお手本)など外車のみであったが、我がコンテツで見学をさせていただきました。これが以外にも好評だったのか、その翌年から後にTACSスピードフェシテバルの前進になる国産の少し旧いクルマも含めての模擬レースイベントが始まりました。当然、当サイト・オーナーもクーペLで参加と相成りました。
そんな歴史を持つ今ではオールナショナルと言えるイベントがこの新年恒例のJCCA New Year Meetingです。可能な限り参加させていただいております。勿論、今はどこのクラブにも所属してない一匹狼ですから、つつましく「ヒノ・サムライ研」と本サイトの日本語訳を勝手な所属クラブ名にて出没を決め込んでいます。
今年は2009年のコンクール・デ・エレガンスで幸運にもコンテッサ部門にカーマガジン賞をいただいてしまったレストアなどとは無縁 (厚化粧&整形美容無しの"素顔") のコンテッサ1300DX(1966年型,3速コラム)で参加、以下のようなプレートをフロントバンパーに挨拶代わりに制作しました。
当サイトでもアップを開始、逐次執筆も進めている日野自動車のコンテッサ900発売50年目であります。それを記念して「50」を強調しました。
天候にもまずまずは恵まれ,午前11時頃から多くの皆さんが立ち寄っていただきました。このセダンが長年,鎮座していた淡路島の今は無き「世界平和大観音像」の交通博物館時代について訪問記のブログに書かれておられるエンスーの方もお出でいただきました。結局、大勢の皆さんと時間を忘れ、空腹を感じた頃には午後2時を回っておりました。ネット上で知り合ったりと、ここはリアルな対面の場でもあり、足を運んでいただき皆さんにここで御礼申し上げます。ありがとうございました。
この1300とシビックには当サイトオーナーとして誠に「複雑の想い」を感じざるを得ません(シャッターを切れなかった理由)。何故ならば、これら車両の設計に日野コンテッサの設計者がホンダに移籍後に大いに(当時のF1も含み)活躍していたからです。
日野の戦後の技術導入であったルノー4CVでの技術習得、そして自前のコンテッサの設計を担った技術者はコンテッサ1300発売前にホンダに移籍、ホンダS800などのようなある意味で非常に特殊なクルマづくりからコンベンショナルな製品あるいは商品への変革の担い手となっていたのです。よって、これら1300とシビックを中味に追求して行くと日野の設計、すなわちコンテッサとコンセプトが共通あるいは延長であるというものが多く見られます。所謂、「知の伝承 (KnowledgeTransfer) 」です。その意味で「複雑の想い」とさせていただきました。