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イベント
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博物館はかくして - Petersen Automotive Museum (2012.3.31)
Reneult 4 Ever (ルノー4、永遠なれ) - 運命の分かれ道 (2012.3.10)
JCCA New Year Meeting 2012 (2012.1.29)
大晦日、今年も恒例の筑波詣で(2011.12.31)
50 Years Ago :コンテッサ1300のデザイン (2011.12.19)
幸手クラシックカーフェシティバル (2011.11.13)
リバイバル・モータリング・ジャパン in 茂原:展示&デモラン出走(2011.10.8)
まつどクラシックカーフェスティバル・新たな出発か?(2011.10.1〜2)
まつどクラシックカーフェスティバル・ファイナル、これで本当に「終わり」か?(2011.9.28)
第7回年次ジャパニーズクラッシックカーショー (2011.9.9)
オートジャンボリー2011:ミケロッティ同士 (続)(2011.7.10)
コンテッサの聖地(!?)への旅:パリ(Paris)散策(2011.7.1)
コンテッサ絶命 - 今年は如何に?(2011.5.27)
千葉県立現代産業科学館:クラシックカー・スポーツカー in 科学館(2011.5.8)
サンデーブランチ:旧車isGreen(2011.4.17)
伝統を貫く:Moon, Santa Fe Springs (2011.4.2)
CG誌2011年5月号:ホンダRA271 (2011.4.1)
JCCA New Year Meeting 2011 (2011.1.30)
大晦日、恒例の筑波詣で(2010.12.31)
日野オートプラザ:ブログのグーグル検索(2010.11.13)
まつどクラシックカーフェスティバル(2010.10.2~3)
サンデーブランチ:ミケロッティ同士(2010.8.15)
真夏の酷暑の中のテストは如何に?(2010.8.1)
コンテッサの聖地(!?)への旅:Dieppeで待ち受けたのは(2010.6.26~)
日産自動車:旧車オーナーも登場する株主総会を視て(2010.6.23)
コンテッサ絶命 - 日野コンテッサは絶滅種か!(2010.5.21)
市内近隣でのお花見(2010.4.4)
空から秋水詣で(2010.3.26)
福井美術館へ1,100kmのロングツーリング(2010.3.19〜20)
塩澤 進午著、日本モーターレース、創造の軌跡(2010.1.30)
NO MAN'S LAND:フランス大使館(2009.12.17)
第一回袖ヶ浦フォレストレースウエイ走行会(2009.11.29)
ツーリング:箱根や富士山麓地域(2009.11.19~20)
福井&石見県立美術館:日野コンテッサ900スプリント展示(2009.11.7)
まつどクラシックカーフェスティバル(2009.10.3~4)
ディーター・ラムス(Dieter Rams)展(2009.6.18)
電気式スーパーチャージャー(2009.5.22)
ツーリング:湘南〜箱根地域(2009.4.23~24)
東京コンクール・デレガンス 2009(2009.4.10)
AutoBook Store詣で(2009.3.28)
ツーリング:山形訪問(2009.1.26〜27)
JCCA New Year Meeing 2009(2009.1.25)
トヨタ博物館クラシックカーフェスタ in 神宮外苑(2008.11.29)
あるGPレーサーとのお別れ(2008.11.25)
秋水詣で(2008.10.10)
ツーリング:関西/中部訪問(2008.9.4〜6)
NSU TTS Gruppe 2(2008.8.8)
秋水詣で(2006.11.11)
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イベント - MISC.(2012年3月9日)

Reneult 4 Ever (ルノー4、永遠なれ) - 運命の分かれ道


 1961年は、日野自動車のルノー4CVの発展形の日野コンテッサ900が発売されて、50周年の記念となる節目でした。我が日野コンテッサばかりに目は行き過ぎてましたが、実は、本家のルノー4も同様に、ルノー4CVの後継として、1961年に発売されておりました。

 何故、ここで取り上げたか?それはタイトルにもあるように、「運命の分かれ道」みたいなものを感じざるを得ないからです。コンテッサ900は、日野自動車として、戦後 (第二次世界大戦) の外資による技術導入の国策の一環として、フランス、ルノー公団のRenult 4CVのノックダウン、そして100%国産化を進めた結果として誕生しました。

 コンテッサ900の結末は、5万台弱の生産、3年余りの生産とあまりにも短命でした。一方、早くも将来を見据えて、RRからFFへと技術革新を進めたルノー4は、1992年まで、何んと30年も、しかも生産台数は800万台と、世界至るところで大衆車として愛用され、今でもその多くは人々の生活の足となっているようです。結果として、線香花火のような日野コンッテッサと比べると、大いに運命が違うものだと感じる訳です。

 それは企業文化、戦略の明らかな違いと分析します。重要な継続性とか、今で言う、サステナビリティに対する戦略と考えます。また、背景となる伝統というものがある訳ですが、それは自ら創る (自創) 、発信するのが当然であり、借りモノ (例えば、日本の自動車工業の外資による技術導入) であっても尊敬すべき明らかな姿勢がある筈で、それをおろそかにすれば衰退への道をたどると言うのが歴史の教えと思います。

 その良い例は、現代のルノー社はルノ−4の50周年に際し、世界に人々に愛されたこのルノー4のためにReneult 4 Ever Design Competitionと言うデザイン・コンペ・イベントを開催しました。それは、ただ旧いモノの懐古趣味的なものではなく、将来に向けたクルマの方向性をも盛り込んだ、正にクルマ文化、あるいはエンジンとかを開発する技術だとか単にクルマのみではない「人の文化」、社会・ソサエティを否応にも感じさせるものです。

 コンテッサ900の後継は、日野コンテッサ1300となり、その戦略は、奇しくも「輸出適格車」と位置付けられました。プロモーションとしてのルノー社のお膝元でのパリショーなど出展、欧州各地でのローカルなコンクール参加はあったものの、戦略としての輸出は数千台のとどまり、これまたコンテッサ900同様に5万台の販売で3年弱でトヨタ自動車の資本参加と相成り、日野コンテッサは自らの生命を絶ったのです。コンテッサ900が発売された1961年の時点で、もうすでに、戦略&文化を基に「運命」の「分かれ道」があったと感じ、分析します。

 さて、ルノー4の50周年、幾つかあった関連イベントを以下に幾つか気に入ったものを紹介して置きましょう:

 RENAULT TV : Designing a Renault4ever! (YouTube)


ルノー4のオリジナルのコンセプトを戦略に次世代のクルマを創造するというコンテストのようです。
世界から数百人のエントリーを得て、ファイナルのトップ3の皆さんが紹介されてます。
審査員も多彩で、特に女性が活躍しています。その一人に英国在住の日本女性も
おられることは朗報です (Mai Ikuzawaさん)。

 Renault TV - Renault 4 au rallye Monte-Carlo Historique 2011 (YouTube)


2011年のモンテカルロ・ヒストリックラリーは、ルノー社のRenult Classicとして、
歴代のレーシング&ラリー・ドライバーを起用して、3台のルノー4のエントリー。
旧いビデオなどで登場するような皆さんが楽しそうにルノー4を操縦してるのイイなと
釘付けになります。註:上にYouTubeはフランス語版、本ページに埋め込んだのは英語版です。

 Googleによる「renault4ever の画像検索結果 」、Reneult 4 Ever Design Competitionのプロジェクトを見るにはこれが一番良いでしょう。

本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて)

(江澤:サイトオーナー、オリジナル:2012.3.10)

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