東京オリンピックの年にデビュー - 本格的海外進出への門出


日野の夢(ロマン):コンテッサに託して
Una Tragedia Della Contessa(イタリア語。「悲劇の伯爵夫人」の意)

1.1 東京オリンピックの年にデビュー - 本格的海外進出への門出


(In Working)

Hino Company Report No.58 196510&11 p9 Olympic

オリンピック市場最大の規模を誇った第18回オリンピック東京大会 (1964年10月10日)、主要自動車メーカー6社は、協賛車両を無償提供した。日野は新発売のコンテッサ1300、42台を提供、世界各国の選手団や報道関係者の足として活躍した。

 第二次世界大戦の終了から20年余り、日本は全国民あげてハングリー精神と言うべきものか欧米に追いつけ追い越せの上昇志向の時代であった。他国に類をみない勤勉さで働き高度成長時代の幕開けとなったのだ。1960年(昭和35年)発足の池田内閣のもとに推進された所得倍増計画も順調に進み、三種の神器の普及後、新たな3C(カー、クーラー、カラーテレビ)と言う流行語が巷をめぐり回った。そしてオリンピック景気とともに高速道路網の整備も進み、モータリゼーションの波も一般庶民にも夢ではないところまで近づいてきた。そんな時代、コンテッサ1300は戦後の復興のシンボルでもあった東京オリンピックが開催される1964年(昭和39年)の秋の第11回東京モーターショーで世に出た。

 労働力はあるが資源の乏しい日本は、最近でこそ将来に向けて、コンピュータ・ソフトウエアに代表される知的産業なるものが政府レベルで言われているが、これは別に新しい現象ではない。日本は第二次世界大戦後、近代工業の代表格であった航空機産業を無くしたことはご存じの通りである。この様な状況に於いて、近代工業の一つの自動車工業の育成は、日本にとって豊富な労働力を使い且つ高度な加工工業を発展させるために必要不可欠なものであった。具体性をもって言い替えれば、安い原材料を諸外国から輸入し、より付加価値の高い車を輸出しようというものであった。この産業構造は、市場環境は変わるものの現在に至っても同じである。

 日野自動車工業は1960年(昭和35年)、ルノー4CVの国産化で技術蓄積した結果として、日野自動車オリジナルとも言うべき小型リヤエンジン乗用車、コンテッサ900を世に出した。そして1964年(昭和39年)に発表された次期モデル、コンテッサ1300はコンテッサ=伯爵夫人にふさわしくイタリアの若きデザイナー、ミケロッティ氏による完成されたスタイリング、そして日野自動車の技術陣が心血をそそいたメカニカル面は更に高度なものになっていた。それは少量生産メーカーから世界に向けて自らの製品を普及させようと言う日野自動車の壮大な心意気を具現化したものであった。

 1964年(昭和39年)の初め、コンテッサ900からコンテッサ1300への移行を前にし、当時の取締役社長松方正信は年頭の辞で “本年は海外に本格的進出を成し遂げるべき年” と位置付け従業員に以下の点を述べている。

  • 日本の自動車メーカーの将来における存立と繁栄も、その企業のなし得る輸出量の如何による。
  • 輸出市場の確保こそ不況時における生産水準を維持する現実的手段である。
  • 日野自動車は少量生産のコスト高という重荷を背負って強大なる相手と闘っており、企業規模の拡大が必要である。

 等など、更に目標達成のための課題として、品質の画期的向上、原価低減および海外市場に適合する新製品の開発をあげ、希望の年を迎えんと決意を述べた。

 因に1962年度(昭和37年)のコンテッサ900時代の日野自動車における乗用車の輸出台数はおよそ700台であった。この数字はトヨタの2500台、日産の11000台に比較し少量と言わざるをえない。しかし、プリンスの700台、東洋工業の400台は似たような量でもあった。この時点で日産はほぼ七割のシェアを誇っていたのであった。日野自動車はほぼ4%強と国内販売シェアの数字に近いものであった。すなわち、生産量(=販売量)を増やすことは勿論、輸出比率を増やすことは全体の生産量を増大させるもので企業規模拡大のための生命線であったのだ。

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将来のコンテッサ・オーナー
子供も大人もマイカーを手に入るのは夢だった。場所は池袋、東武デパート。
このプレイランドで遊んだ子供たちも今やシニアだろう。
夢を売ることは将来の顧客につながることは今でも同じ、商売の基本である。
(ヒノニュース、65-8,No.100)

(Newed 2014.8.11)


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