ここ何ヶ月か、あるいは何年か感じていることがあります。所謂、今でいう「旧車」というものが、あるいはその世界が変化しつつあります。ある意味では文化としての進化なのかもしれません。自分としては「旧車」とは毛頭考えてない1970年以来継続的に楽しんでいる当時の言葉の「マイカー」でしかない「日野コンテッサ」です。当初、格好いいスタインリングとして乗り始めた時点から感じているのは、945kgの車重に55馬力と何ともひ弱で「走らないクルマ」ということに今だチャレンジし続けています。またドライビングには独特のインテリジェンシーが要求されます。結果的に何十年も自分自身の進化なく生活の一部として、すなわちライフワークとしてあまり進歩することなく同じことを繰り返しているだけのようです。
そんな感覚では世の中の(旧車界の)動きについて行けないと感じさせらている昨今です。ここ数年をみれば、メディアや各種イベントに見られるようにクルマそのものへの考え方だとかオーナーの考えや層(年齢や社会的地位)など一変したと感じております。代表的なものを分析すれば、一に乗るよりもイベントなど向けの行動が主体、二にクルマを自分でメンテナンスするよりは主治医と称されるような方法で維持、イベント向けのクリーンアップまでもそのように、三に欲しいクルマは市場から購入できる、そして四は多くが二台持ち、三台持ち、あるいはそれ以上、それも結構な大馬力車もと、大方そのようなもになります。愛車は見てくれを綺麗にするよりは、乗って走ってこそクルマが望んでいることと考える当サイトオーナーとは大いに考えを異にするものです。
そんなことを考えている中で、例えば、ドライビングについて、Youtubeの番組で、60年代末期のレーシングカー、Porsche 917を運転することと、現代のPorscheを操ることは、“Different Discpline” と当時の有名ドライバーが述べる場面がありました。自分的には、“まったく異なる技術が必要” と解釈するものです。その際の解説にもあるように、917はまったくメカニカルなものでドライバー自ら操らねばならない、現代のクルマはすべてが電子化されておりクルマにある程度の知能(インテリジェンシー?)があるもので、運転技術が異なるというものです。結果的に如何にクルマを楽しむかの違いにもなります。このことは50年前の我がコンテッサにも当てはまるもので、エンジン、さらにシャシーまでコンピュータ化された現代のクルマとはまったく異なる運転技術(これこそがインテリジェンシーか)が必要です。運転しなくともコ・ドライバーズシートでも同様に明確なフィーリングを得るものでしょう。
自分がコンテッサを運転し始めた46年前も多くのクルマはメカニカルなテクノロジー&設計のクルマでありました。コンテッサより少し新しいサニーとかスバル1000に比べればても、コンテッサのクルマの考え方は隔世の感 (要はコンテッサは旧い、未熟とか) がありました。それが30数年前、例えば、ホンダ・シティなどの時代からは、シャシー・ドライブトレイン、アメニティや素材など含めて絶対的な隔たりを感じるようになりました。それが今日のクルマとなっては、天と地との差のようなものでしょう。すなわち、クルマは絶えず進化・変化しているのです。おそらく今となっては人間の方がクルマから胎教されてるようなものです。
さて、これについて普段考えることは、自分のようは年寄りは幸いにも50年近く前にコンテッサを乗り出した訳で、当時の先輩からのコンテッサをどう乗るかのイロハ(インテリジェンシー)、すなわち現代の太いタイヤと強大なパワー&ブレーキ・コントロールでなく、細いタイヤと繊細かつ大胆なアクセル&ステアリング・コントロールなどを聞いて自分でも試し楽しんだ訳です。その際のフィーリングは退化しつつも今でもDNAの如くなっており、ついてはコンテッサを楽しく乗るためにどうしたらら良いかということもそれがベースになり未だ試行錯誤してのです。
おそらく自分たち少数の輩はコンテッサに限らず半世紀前の現実がベースになって、現代のクルマも少し時代遅れの脳みそで楽しむことになります。ところがどうでしょうか?圧倒的に大多数を占める比較的最近あるいは最新のテクノロジーを持ったクルマのフィーリングがDNAになった若者や新規オーナーが50年前のコンテツを新しく乗り始めたらどんな印象をもっているのかは非常に興味あるところです。おそらく全く異なったものと推測します。どちらか良いかという問題ではありません。すなわち、時代が変化、所謂、「旧車」ヘの接し方がおおいに変化したということです。それは自分たちあるいは先輩たちの知恵を昨今の新しい旧車オーナーに伝えなければならないと同時に、旧い脳みそを持った自分たちは、積極的に若い人たちと意見を交わし、逆に学び自ら進化しなければならないと考えます。
そんなことを感じつつ「日野コンテッサ」を相変わらず愛用しています。世の中では、「旧車」という基準ではどこのイベントでも多くはGTRとか2000GTなどにスポットライトがあたり、またホンダS系やトヨタS800などがメインストリームであり、ただただ珍しいな、よく走っているなと交わされる「日野コンテッサ」です。一般的な旧車市場でもあまり流通もしないし、その昔から伝説的なストーリーもあるいは当時の富士スピードウェイや鈴鹿サーキットなどの輝かしい戦歴もありません。メディアの商売のネタにもなりません。まして、市場での販売は2〜3年と短期間であり、補給部品も戦略を持って絶たれ、一般的な評価すれば、おそらく日本車で最も維持が困難な「日野コンテッサ」であり、それは米国の A型フォードなんかよりも何倍も難しい「日野コンテッサ」であると考えます。
まとまらない文面ではありますが、2016年、50年を経てしまった「日野コンテッサ」ではありますが、当時の進化・改良などなくして世を去ったクルマなので、如何様にでも進化させることが可能であります。それがコンテツにとって本望であり、オリジナルなどということを憚ることなく改善を進め、日野自動車が出来なかったことを盛り込み、さらに進化させて現代でもどのクルマにも負けない馬力だけではない「Fan to Drive」なクルマを目指して、自分で自ら「いじる、乗る、そして悩む」ということをクリエーションしながら今年も進めて行きたいと考えます。
江澤(2016.1.7)