Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その5)


日野スプリント1300GTの結末:1台説に帰結!


 Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その4)に於いて、日野スプリント1300GTについて3台説から2台説に改めた。しかし、最近の情報でこの議論を集結させるとも言える裏付けと成り得る新たは材料が出て来た。それは以下の「日野工場のゴミ置き場所に祀られた日野スプリント1300GT(昭和46~47年)」とタイトルさせていただいた写真である。

 これは何を物語っているのか?この現場の光景を残した複数の映像と当事者の意見を整理すると以下のようである:

  • この写真(昭和46~47年当時)は、無用となった当該車両の廃棄業者の引取を待つ数日間に撮影された。
  • 3つのボデーの左の2つにはエンジンが入っていた。そのエンジンは下から覗く限り、通常のエンジンと異なるヘッドを持っていた。
  • 車内の艤装は大方、付いてなかった。
  • この写真を偶然にも撮影した本人は、果敢にも日野の担当者に廃棄するならば、譲ってもらえないかと,その場で打診、しかし、返事は「それは絶対に不可能」だったとのこと。

 以上の情報と過去の情報&検証と併せて分析すると以下のように新たな検証となる:

  • 写真、左のブルー系に見えるのがスティールのボデーである。コンテッサ・スプリント(その4)にあるように、モデル検証&製作用の手鈑金のボデーである。走行実験などするためのものではない。
  • 中央のレッドは日野に最終納品のための型&治具から造られた総FRP製であり、最終的に契約として走行実験を完了し、欧州の諸々のメディアにオフィシャルに通知&掲載された唯一「クルマ」と言えるものである。1966年のパリショーにも出品された。勿論、市販ではない、あくまでショーモデルである。
  • 右のホワイト系はやはりFRP製である。しかし、全体の造りはレッドのFRP製のレベルには至っておらず、おそらく検証過程の未完成あるいは中間的なものと推測する。
  • 写真から足回りを分析すると、スティールボデーのものは日野のストックのスイングアクスル&ドラムと診る。FRP製の後輪はスイングアクスルに換えて,独立懸架(ウィッシュボーン)であり、しかもディスクブレーキ。
  • 更に写真を詳細に分析すると、ホイールは5穴のものが使われている。これはワンオフでなく当時の欧州車(Fiat 1300/1500系)からの流用。但し、スティールボデーには同じホイールでもセンターだけ鉄板を溶接し,4穴にしている。これは日野のストックのPCDなどに合わせたものだろう。
  • 日野製GRベースにしたアルピーヌ製のツインカムエンジンは、合計3台製作された訳で、製作時期によって熟成の度合いは異なる。この写真により2台のアルピーヌ製ツインカムエンジンが検証が可能となった訳である。残りの一台(実はこの個体はアルピーヌから一号機で日野に1964年末には納品されたいた)は比較的最近まで存在したようだが、結果的に廃棄された。

 まだまだ,多くの分析がこれまでの分析と併せて可能である。

 最終的に、表題にした「日野スプリント1300GTの結末:1台説に帰結!」であるが、それは以下の理由である:

  • レッドのFRP製の日野との契約のもとに最終的な走行実験並びに生産設備(型&治具)と共に納品された車両であること。
  • しかも、その個体は当時のメディア向けの対応(1966~1967年)が成されており、またパリショーにも出品された。すなわち、試作車として目的をもって契約書に沿った「十分なる走行実験をクルマ」であること。
  • また、クルマとしてメディアを通じ告知され、パリショーに出品され、明らかな個体として歴史的に認めることが出来ること。
  • 他の2台,スチール製とホワイト系FRP製は走る以前の検討用のモックアップないしそれに近いものであったということでクルマとしての機能を有してない。プロト以前のものであり、クルマとしては認めることは出来ない。

 と、いうことで、レッドのFRP製のみがクルマであると言うことが歴史として常識的なものと言える。形状的に3台あったと言うのは開発過程の形態としてであり、それら全てはクルマではない。よって、「日野スプリント1300GTは1台のみ」としたい。

 これら3台がゴミ置き場から廃棄場所に向かったその後については別途記述したい。また、世の中というものがありがたいもので、このように歴史から消されてしまったクルマの情報が数十年経た今日、化石をほじくるかのように出るくるものである。正しい歴史認識&検証のために更なる情報も期待したい。

日野工場のゴミ置き場所に祀られた日野スプリント1300GT(昭和46~47年当時)

 まさに「墓場」そのものである。艤装ははずされ、ちゃんと走行実験が成されたレッドの日野スプリント1300GTさえも、メーターやハンドルなどは見当たらない。パリショーに出品された「栄光」は微塵も感じられない。試作車且つ命を断った「コンテッサの結末」はビジネスとしてはこんなもんであり、それは運命であり、悲しむべきものではない。

Hino 1300GT Scrap

1965〜6年、パリ郊外 Autodrome de Linas-Montlhery のコントロールタワー前にて撮影

 走行実験中のレッドのFRP製の日野スプリント1300GT。日野の未来への期待と、ミケロッティ&アルピーヌ各社の敬意を評して、まだ未完成ではあるものの実に魅力のあるコクピットを紹介しておこう。コンテッサ900スプリント同様、VEGLIA製の機械式タコメーターや速度計が見られる。210kmまでの表示は180kmを目標とした性能を伺い知ることが出来る。スポーツカーをしてまだ将来に希望をもっていた “コンテッサ” のオーラが感じられる。

Hino 1300GT Cockpit

(SE, 2020.12.31、 Original)
(2014.6.29, Renewed)


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