日野の夢(ロマン):コンテッサに託して
Una Tragedia Della Contessa(イタリア語。「悲劇の伯爵夫人」の意)
7.3 第4回日本GPに向けて - 執念の来日・参戦
(In Working)
この様な複雑な状況を経ている間に日本GP(JAF主催)も押し迫ったきたのである。そんな中、日野というスポンサーを失ったサムライプロトは宮古を初めとする旧知の佳き友人=日野の技術者たちの協力によって準備が進められたのだ。チーム監督にはピートが友人でもあった当時のMGM映画「グランプリ」の監督、ジョン・フランケンハイマーに交渉しグランプリに出演した「侍」三船 敏郎が起用されたのだった。1967年(昭和42年)の4月、JAFの発表した参加者リストのチームサムライは車名のヒノサムライ、ドライバーのピート・ブロック、監督は三船 敏郎とその派手の陣容が示すようにメディアを賑わすことになる。
そんな中、コンテッサ用GR100エンジンのパワーアップのノウハウが盛り込められたG型エンジンを搭載したトヨタブリスカ(日野ブリスカ小型1tトラックの改良型)が業務提携の成果として内示発表した4月26日(水)に、偶然にもピートとサムライプロトは羽田飛行場に到着したのだった。ただちに羽田東急ホテルで記者会見が行なわれた。本来ならば日野の首脳陣と共に行われるものだが、チームサムライ一行の4人だけでサムライプロトを報道関係者に公開する。
実はこの時点でサムライプロトはロサンジェルスに於いて十分は走行テストするに至ってない。それこそ前日に全体が組み上がり、BREのガラージの周りをテスト走行したのみでロサンジェルス空港に向かいパンナムの貨物フライトに収めたのである。しかし、羽田でのピートたちの意気込みに感じてか各紙は次の様に報道した。
- 舶来サムライがなぐり込み,青い目のヤマト魂。陣頭に三船 敏郎
- 日本GPにダークホース - ヒノサムライとブロック選手来日
- 三船がレース・マネ、米チーム、車の名もサムライ
来日早々話題にことかかなったが、スペアパーツが消えるというオマケまでついた。パーツは運送会社のミスで翌4月27日(木)に無事、サムライプロトの日本でのガラージとなった日野の工場に届けられ、日野の友人たちにより最終整備が進められた。ピートはドライバーズシートに座り、左右のサイドミラーを実戦的なポジションに固定し、富士スピードウエイに向けてエキゾーストパイプが作られた。翌、4月28日(金)の夕方、一行はロバート・ダンハム(以下ボブ)の寮友サムライコンテッサと共に富士スピードウエイに乗り込んだ。
そこでのサムライプロトは「ここでも人気の焦点。どれほどの質問を浴び、何百枚の写真をとられたことか。サムライの前にすべての他車の影は薄れた」と宮古は当時のアルバムに記す。そして4月30日(日)に事実上、サーキットでのシェイクダウンを開始する。
まずは最大のリスクを持ったラジエータのエア排出、これは予想通りオーケー、オーバーヒートは無し。そのまま、速度を増し3周目だろうか、富士の30度バンクを通過した後だった。油圧低下やらオイル漏れを起こしたのだった。ここはサムライチームにとって今までにない過酷な30度バンクを持ったトラックである。レースではこの様なことが日常茶飯事であるが。しかし、この日悪いことにボブの駆るサムライコンテッサも足だしとなってしまった。
翌、5月1日(月)は急遽、サムライプロト専用の部品を代えるために対策用のオイルポンプとコンテッサ用のオイルパンが日野の友人たちにより持ち込まれ、ボブのコンテのエンジン交換と共に一行は慌ただしい一日となった。だが正規の対策にはより多くの時間が必要であった。これはあくまで明日に控えた車検と予選に対するものであった。
5月2日(火)、チーム・サムライの監督の三船 敏郎は世田谷の自宅を愛車ジャガーで朝9時に出て、ピートたちが待つ富士スピードウエイに向かう。車検を前にした午後1時に到着。そして、現場で監督としての役目を果たすことになる。昼の1時半過ぎにサムライプロトは三船監督をはじめ、ピートがドライバーズシートにボブ、ジェフ、そしてジョーイらが慎重に手押しで車検ラインに向かった。
一連の検査が過ぎ、国際スポーツ法典J項で定められたロードクリアランスを検査する縦横80cm、高さ10cmの木箱を半ば通過した時である。周囲の静けさの中、ドンとボデー下部を打つた音。オイルパンが当たったのだ。そして「ロードクリアランス不足で失格です」と技術委員長の冷たい声が響いたのだった。有名なサムライ事件の勃発である。
予選開始は午後2時からである。オイルパンが一時的なものであることに関し、三船監督は技術委員会と激論を交したのだ。その間に予選は終わってしまい、JAF側は「”失格”の車両はレース出場を認めない」という結論を記者団に発表をしたのだ。しかし、この車検ではトヨタ自販がスポンサーになっていたといわれるローラT-70が回転半径が規定を満たないで失格を宣言されたまま予選になぜか出てしまったいう事実やロードクリアンス不足でメカニックが車体を持ち上げて車検を通過させてしまったクルマとか、これらサムライチームのみならず現場に居合わせた多くが目撃をしていた。これらは例外処置だったのか?午後6時の記者会見ではこの問いに対して競技長からは明快な回答がなされなかったのだ。
(Newed 2014.8.11)
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