あるGPレーサーとのお別れ(2008年11月25日)
この日の数日前、思わぬ訃報が飛び込んで来ました。それは日野の当時のワークスドライバーであり、最高のRR使いの名手だった山西 喜三夫さんだったのです。
とにもかくにも、告別式の行われる都留市(山梨県)に向かいました。山西さんは日野レーシングチームの日野プロト(J494)やデルレーシング(NAC)のコンテッサのグランプリドライバーとして雲の上の存在でした。ボクが昭和40年代半ばまだコンテッサでレースをしたいと言う友人のサポートをしていた時代、その彼は当時の目黒のデルオートで自身のコンテツをレーシングマシンヘの改造を委託していました。そこでの話は、彼がコンテツのレーシングドライブをマスターするには、山西さんから教えてもらえと、そして同乗して、ブレーキングペダルのタイミングを間違えるとその場で足蹴りにと、そうやって体で学ぶしかないと、、、、とすごい人だなとイメージしていました。
そして80年代の半ば、その伝説的と想い描いていた山西さんから直接電話をいただいたのです。その当時のある雑誌にボクがTACSの鈴木会長からのコンテツ取材の記事を見たということでした。お会いして色々とコンテツのこととかドライビング方法を初対面ながら勉強させていただきました。
その後、結果的にボクのコンテツでお互い手弁当でTACS/JCCAに筑波に参戦することになりました。そこではプロとしての貴重な意見をいただきクルマのチューニングについておそらく10年かかるようことを一回の参戦で学ぶことになりました。これは本当にすごいとと今でも思い、参考にさせていただいたいおります。それはボクにとって一生の財産と考えます。例えば、ある時期の会話ですが、筑波で3秒アップしたいがどうするかの課題、山西さんは自分がドライブで1.5秒のゲイン、どこのコーナーで、あそこのコーナーでこれだけ可能、そしてボクがチューニングで1.5秒のゲインを受け持つ、すなわち積み上げて目標を立てどこをどう実行するかするかのクルマのチューニングです。そんなようにしてクルマは強くなるもんだと、身をもって会得させていただきました。
さて、告別式の会場に入るとこれ以上ない驚きがありました。遺品というべきか、そのように理解するべきものがテーブルに飾られていました。そこには何と、ボクのクルマをドライブした筑波の第一コーナーのカウンター走行の写真が中央に鎮座しておりました。
そばに居られた娘さんのお聞きしたところ、当時(1983年)ボクがお贈りしたこの写真(撮影:鈴木 陽一郎氏)は山西さんのご自宅にずっと大切に飾られていたとの事です。ボクは緊張とともに敬意を感じざるを得ませんでした。
告別式、初七日の法要、そして本当に最後のお別れを交わし、火葬へと進みました。そこではご家族の皆さんと奥様との出会い当時から当時のデルレーシングそしてHPEへと懐かしい想い出話となりました。
<<合掌>>
以下に山西さんの勇姿をまとめました。実は、ボク自身、自分で撮っている写真が実はゼロだったのです。レース場ではやること山のようにあり、写真を自分で撮っている余裕はありません。しかし、皆さんのご好意で手元も保存してあります。ご協力いただいて来た皆さんにここで感謝申し上げます。
【想い出のアルバム:RR使いのプロの神髄を華麗に披露】
【想い出のアルバム:曲がらないコンテツ】
【想い出のアルバム:ベストショット】
【想い出のアルバム:してやったり、S800軍団のサンドイッチを蹴散らす】
【想い出のアルバム:コンテツは斯くしてさばく】
【想い出のアルバム:もくろみ通り】
【想い出のアルバム:曲がらないコンテツ、曲がるステアリング】
(註)この写真を撮っていただいた方は実は今となっては不明です。当日、色々な角度で写真を撮られ、その後、ネガを頂戴しております。もし、これをご覧になっておられましたら、ここにインプットいただければ幸いです。
(江澤:サイトオーナー、オリジナル:2008.12.1)
(Added : 2017/11/25)
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