トラベリング:コンテッサの聖地(!?)への旅 - パリ(Paris)散策:(2011年7月1日)
日野コンテッサ1300のスタイリング (インテリア含め)&ボデー設計 及びプロト (コンテッサ900のシャシーベース)製作はイタリアのミケロッティ社にて進められました。それはフランスのルノー4CVのノックダウン生産&完全国産化を進め、その結果生まれたコンテッサ900をさらに進化させた日本の経済発展を担うべき「輸出適格車」という十字架を背負う運命でした。
日野自動車はコンテッサ1300の販売を1964年9月1日 (昭和39年) に開始、その2ヶ月の11月2日が第11回東京モーターショーでのデビューでした。その当時、「輸出適格車」のコンテッサ1300は、フランスで自動車専門のコンサルタントを使い、フランスを初め欧州でのデビューを目論んでいました。
その最初のイベントが1964年10月1~11日の世界でもっとも有名な第51回パリ・モーターショー (所謂、パリ・サロン)でした。その後、1966年まで継続し、様々なコンテッサ1300 (将来を担うスポーツカー含め)を展示しました。このパリ・モーターショー はそこでの展示だけではなく、事前に様々な試乗会やプレス&アナリスト・イベントが行われるのが常です。日野自動車も忠実にこの例に従い、二つの事前イベントを行いました。その一つがパリ郊外 Autodrome de Linas-Montlheryでの試乗会、もう一つがプレス&アナリスト向けカンファレンスでした。
このカンファレンスはパリ・モーターショーの直前の9月25日 (金曜日) 、ブローニュの森の超高級レストラン「レ・プレ・カトラン」で午後6~9時に開催されました。そこには、パリを中心に欧州の自動車専門家が正確な数はまだ把握出来ませんが数十名招待されました。コンテッサ1300の先祖のルノーの関係者にも招待状は送られました。
歴史的には以上のようなものです。このブローニュの森の超高級レストラン「レ・プレ・カトラン」がどのようなものか、ただただ見てみたいと思いました。運良く、仕事でパリへの出張があり、滞在を延長し、歴史探訪を楽しみました。
パリのオペラ地区から地下鉄とバスを乗り継ぎ、ブローニュの森を歩き、目的の「レ・プレ・カトラン」は広大な敷地の中に静寂と共にありました。エンタランスを抜け中に入り、係の方にお聞きするとここの設備はレストランとカンファレンス・センターがあり、おそらくコンテッサ1300セダンの発表はこのカンファレンス・センターで実施されたものと思います。
50年近く前に、ここで発表のコンテッサ1300セダンが欧州を走る回ることを夢ではなく現実のものにしようとした日野の当時の事業責任者であった社長の松方 正信氏、コンテッサの名付け親でこのコンテッサ1300を自ら世界に売り歩けねばならない十字架を背負った内田 一郎氏たちが熱弁をふるったかと思うと感慨深いものがありました。以下の写真はその場のプレスキットの一部のパリの仮ナンバー「3047 WW75」をつけたコンテッサ1300セダンです。その背景はもちろん「ブローニュの森」でした。今回、この場所を特定しようと試みましたがそれは無理からぬものでした。
以下はレ・プレ・カトランでの当日の貴重なオリジナル・プログラムです。実はこのようなものがパリの古本屋では今でも時折出現します(冒頭参照:これらは数年前に入手)。
内容的は日本からのプレミアカー、日野コンテッサ、フランスに到着、それを祝いましょう...なんて感じかと思います。文面、構成、そしてデザインはやはりフランス人の専門家を使った結果であり、ジャパニーズを強調したシンプル且つインパクトある表現と見受けます。
以上が今回のパリ散策の一歩であり、次に恒例の古本屋に出向きました。ドアを開けると当方を記憶いただいているようで、すぐに半年前に入ったという日野の写真を持ち出してきました。
それらの写真 (中央のコンテッサ1300を除く) は、ルノー4CVのノックダウン生産を開始した当時の日野の工場内部を個人が撮影したものです。写真の裏にはフランス語の手書きメモがあり、撮影は1955年12月7日とあります。撮影の主を分析すれば、当時、ノックダウンのためにルノー本社から派遣され、長く日野に常駐した技術者、Aime Jardon氏となりました。氏は、晩年、日野とルノーの関係についての数百ページに及ぶ論文に協力しており、当サイトオーナーは数年前からその論文を分析しております。よってこれら写真は、日野小型車史を研究するものにとっては最高レベルの資料であります。価格的には清水寺を飛び降りるとはこういうことかと、これも縁、運などど勝手に考え購入した次第です。
以上はパリ市内の日野歴史探訪です。せっかくですから、翌日はレンタカーを駆って、今回も田舎へと足を延ばしました。それはルマン自動車博物館 (これは俗称、正確には「Musee Automob ile de La Sarthe」、サルテ自動車博物館) へと、地図無し、道路標識と腕時計の磁石だけでおよそ500kmの日帰りドライブを楽しみました。
そこでは念願のルノー4CVのルマンの覇者をこの目にすることが出来ました。正にレーシングカーそのもの、すべてが別物で出来ているスペシャルでした。レーシングカーというものは一夜にして出来るものではなく、このような永い歴史と経験の積み重ねであり、それがフランス・ルノーの文化並びに技術なんだとあらためて強く感じた次第です。
と、何だかんだの今回も収穫有りのパリでのオフでありました。
【付録:1977年、フランス、パリで撮影された日野コンテッサ1300=>こちら】
(江澤:サイトオーナー、オリジナル:2011.9.3)
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