日野のクルマ:日野コンマース・スペシャル(誕生50周年(2010年2月)記念)
【販売状況&市場の声】
《新生活提案:軽快・低廉・万能》
特徴、(1)使い易い低床式、(2)日本初のフロントドライブ方式、そしてトーションバー使用、(3)乗用車と同様の優れたロードホールディング、(4)小さな回転半径(4.8m)、標準バンは普通貨物の輸送はもちろん、テレビや電気冷蔵庫等の高級商品や、誇りをきらう食料品、衣料品の運搬に最適、またミニバスは旅館や空港の送迎、ドライブクラブ、少人数の観光旅行、連絡車、またボデーの若干の改造で病院車、商品輸送車、宣伝車など応用可能。
まずは、日本では全く新しいコンセプトであるこの日野コンマースの使い方を細かく提案することから始まった。今日で言えば、典型的な「プロダクト・アウト」の戦略だった。
《小回りの良さをアピール:8の字ターン》
4.6mの最小回転半径の小ささをアピールしたデーラー&顧客向けの販売開始時の日野ニュース(1960年4月、No.37)。4.6mと言う数字は現代の欧州系フロントドライブ車でも中々ない小回りの良さ、もっともホイールベースの短さも貢献しているだろう。
《新生活提案:第7回全日本オートショー》
販売開始後の1960年(昭和35年)秋の第7回全日本オートショー(現在に続く東京モーターショー)の於いて、各社の新型乗用車の展示がひしめく中に日野は異質と言うべきあるいは新鮮と解釈すべき3台のカラフルなコンマースを持ち込んだ。そのメダマはモダンライフを象徴すべく夢のようなキャンピンピングカーだった。
参考:駐日米大使ダクラス・マッカーサ二世、日野コンマースのキャンパーを賞賛(19601201_日野新聞)
《熱帯・山岳の冒険にお供する:インド学術探査隊》
1961年11月、 中南部インド学術探査隊(東京新聞社&日本熱学医学会共催、隊長;西丸 震哉氏)が日本人の熱帯での生活するための諸条件調査、現地住民の嗜好感覚の調査、古代文化遺産の調査、熱帯医学・風土病の調査など)に2台の特別仕様(改造はヤナセ自動車が担当)の日野コンマースが提供された。隊長を含め6人の隊員と二人の日野社員(日野自販のサービス担当と日野自工の検査担当)が熱帯&山岳地帯を数ヶ月探検する足であり、またねぐら・生活の場、さらに研究室、現地での病院となる貴重な役目に供された。
《日野コンマース・クライスラー:立川ドラッグ》
これはいささか、「番外編」であるが個人的に好きな方向なのでここに公開したい。日野コンマースが市場から消えて数年後、当時の米軍基地の立川飛行場に登場したクライスラーのヘミV8搭載したドラッグスターである。小さな日野コンマースの荷室に826cc、28馬力のエンジンに替え、1957年のクライスラーのV8 292HEMI、圧縮日9.25:1、325馬力を搭載してしまった。もちろん、駆動系&足回りも移植であった。リヤは下記のイラストの通り、オーバーフェンダーである。目標は13秒台だったようだ。
(SE、2011.1.28 Original)
本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて) 。
Any Comments to here would be appreciated (Please Use your one name)