広告媒体


 日野コンテッサ1300に関する日野自動車の一般メディアを通じての広告です。

 およそ半世紀前(2013年時点)の昭和39年(1964年、東京オリンピック開催)は、「トリネーゼ・スタイル」、所謂、ミケロッティの「トリノ・スタイル」と言う言葉をキャッチ・コピーの中に大きく取り上げていました。それは発売と同時に進められたアジア・メディアにも多用されています。日本では名神などの高速が完成し始めたことでハイウエィ・ドライブを盛り込んだようです。アジアでは、ライフ/タイム/リーダース・ダイジェストなどに広告を打ったようでそれなりの文化人を相手にしたようなキャッチ・コピーのように感じます。昭和39年の東京モーターショーより早いパリ・サロンに登場させた師匠(ルノー)の国であるフランスでは「堅牢仕上げ」と何ともその当時の日本の工業製品の先兵のようなキャッチコピーだったようです。

 昭和40年(1965年)に入るとBC戦争(ニッサンのブルーバードとトヨタのコロナ)の狭間となり、苦戦を強いられた訳で昭和41年(1966年)には、差別化戦略がはかられ、単に「トリネーゼ・スタイルから「何故、リア・エンジンなのか?」を販売戦略を盛り込むことになり、広告媒体もそれを全面に出しました。

 欧州でのコンクールでの各種の成果(計、4回受賞、別途記述予定)はその都度、大いに広告媒体に流されることになりました。ただこれは日本だけの現象で、海外ではそのようなものが見当たらないのが興味でもあります。また、コンテッサ900依頼の米国西海岸での販売に向けたセダン・レースの結果は、遅まきながら昭和41年秋に出た成果(L.A. Times セダン・レースでのクラス優勝)が年明けに大々的に流されました。しかし、それは昭和41年10月のトヨタとの提携の発表の後であり、巷にはサプライヤへのコンテッサ1300の部品の発注注中止が噂されたこともあり、残念ながら時期を逸した感もありと推測しています。

 そしていよいよ、昭和42年4月以降になりますと、事実上の生産中止(公に昭和42年12月)と思いますが、広告にも明らかに変化があります。「ハイウエイの貴族、Contessa 1300 - 根強い人気の秘密はユニークな高性能、海外でも活躍するコンテッサ1300」とか「ハイウエイの貴族、Contessa 1300 - ベテラン・ドライバーが選ぶくるまです、海外でも活躍するコンテッサ1300 」などのキャッチ・コピーとなりました。それは「ロイヤリティあるコンテッサ・ユーザー」へのメッセージだったのでしょうか?あるいは、在庫(完成車・部品)への対応だったのだろうか?(昭和42年4月以降、約4,000台のコンテッサ1300が生産(運輸省への届出)されている

 日野コンテッサ1300の広告媒体もその超短命のライフサイクルの中で、懸命にもがいていたように感じております。


(SE, 2013..7.5 改編)


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