先達に学び新たなる原点回帰を発見する機会 - 不景気を吹っ飛ばせ!
1964年(昭和39年)、日本は第二次世界大戦の敗戦の復興の証しに向けて東京オリンピック1964に燃えるような国民一体とも言えるエネルギーに満ちていました。当時の日野自動車も例外ではありませんでした。この年の東京モーターショーはルノー4CVの国産化後の日野初の独自技術&設計と当時、謙虚なトリノ人と評されたイタリア・カロッツリア、ジョバンニ・ミケロッティのデザインなるコンテッサ1300の社運を掛けての披露目でもありました
実はコンテッサ1300の製品開発プロセス半ばの1962年、日野自動車とスチューディオ・ミケロッティは両者の能力を表すべく魅力的なスモール・クーペを世に問うていました。それが日野コンテッサ900スプリントです。当時のプレスなど信頼出来る情報によればこのコンテッサ900スプリントはイタリアで生産し、当時の小型スポーツカーの市場の欧州&米国をターゲットとしました。しかし、その目論みは、東西の合作(コラボレーション)と話題となったものの最終的に欧州の政財界&業界の抵抗に会い実現には至らなかったようです。
トリノショー(1962年10月)、ジュネーブショー(1963年3月)、そしてニューヨークショー(1963年4月)と欧米での販売を前提に世界のトップショーに展示、その後、製品開発オーナーの日野自動車に納められました。1963年10月の東京モーターショーではその素晴らしい小粋なクーペに見学者は誰しも釘付けになりました。これらのいずれのショーを通じて購入希望がその場で多くあったとのことです。
文化的に貴重なる唯一のショーカー&プロトタイプである日野コンテッサ900スプリントはその後、日本の多くの試作車が償却期限と共にスクラップになる運命の中、日野本社の倉庫に,さらに新田工場の片隅ながら日野の文化を伝承する財産として関係者の努力で保存されて来ました。90年代初めには展示保存のためのレストアも施され日野本社のエントランスに飾られるようになり、今では日野自動車21世紀センター (日野オートプラザ) の大事な顔となっています。
近々、福井県立美術館また島根県立石見美術館の共同プロジェクトで企画展「疾走する日本車(アート)-1960年代を主軸とする国産車の軌跡-」のタイトルにて、日野自動車からはこの日野コンテッサ900スプリントと量産車の日野コンテッサ1300クーペが展示されるとのことです。
日本のクルマが単に技術開発の誇示や商売道具だけではなく、真摯な時代考証を行うと共に、「走る機能美」全体を具現化するクルマのデザインを文化(または芸術:アート)として認識することは大変重要なことです。今回、日本の美術館が自動車のデザインに焦点を置いた企画展を進められたことは、このような重要さを正当に認めていただいと推測し感謝するものです。(註:目下、タイトルのみで主意・詳細は不明)
折しも時代は景気の後退により、特に日本は今までにないほどその回復力が衰えています。しかし、今回の企画展に展示されるクルマ達は60年代に日本の将来を背負った原点に立っていたのです。その後の80~90年代の日本の自動車産業の世界レベルでの成功が結果であります。
今の日本は過去のつかの間の栄光にすがることなく、その成功の原点の根っ子とも言える60年代の戦後の貧困から何が何でも脱皮しようとしたエネルギーは何であったかを学ぶ必要があります。新たなサスティナブル社会&ビジネスが求められるグローバル経済になった昨今でもしかりです。これらの世界を目指したクルマ達、とりわけ日野コンテッサ900スプリントを通して見える歴史背景と先人努力を謙虚に学び、何か新たなエネルギーをいただくと共に今後の新たな日本の進路を発見出来ると信じます。
そのような想いで「先達に学び新たなる原点回帰を発見する機会 - 不景気を吹っ飛ばせ!」としてこの企画展を期待しております。
【開催期間】
- 島根県立石見美術館:2009年12月23日(水)~2010年2月14日(日)
- 福井県立美術館:2010年2月26日(金)~3月28日(日)
以下は当時の日野自動車が世界に向けてメッセージを発信した「日野コンテッサ900スプリント」について報じる欧米メディア資料です:
(江澤:サイトオーナー、オリジナル:20091107)
(Modified - 2014.4.30)
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