PD300コンテッサクーペカークラブ(日野コンテッサクラブ)の思い出(7)- JCCA NYM & 他であった最近の会話 - 会長の役割とガバナンス


会長はすべての会員への「よろず相談のフォーカルポイント」

 先の1月末のJCCAのイベントでも複数の人からこの表題について話しがありました。昨年後半からも同様な話題があり、JCCA以降も複数人から電話や直でのこの話題が偶然にもありました。なぜ、日野コンテッサクラブの方からそのような問いを当サイトオーナーに向けられるかは別にして、昔の経験で皆さんには一様に次のように答えております:

 会長はすべての会員への「よろず相談のフォーカルポイント」であり、会長にもなれば、日常、毎日のごとくとはないが、会員から日々色々な相談が持ち込まれます。問題はそれにどう対応するかです。自分で考え、そして人に相談、あるいはプロにお聞きしたりして、ベストな回答を問い合わせのあった方にご自分で回答するとか、必要であれば会報を利用する方法をその昔は採っていました。

 そのような問い合わせに対して、メンテナンスなど修理業者などに丸投げすれば、クラブとしても独立性、あるいはガバナンスを失うものです。ひいては修理屋などの商売をされている方との明らかなしがらみを作ってしまう可能性があることです。それはしてはならないと、日野自動車含めて自動車屋などのビジネスとの関係に一線を引かねばならないというのが基本原則であったのです。

 今のように会社の組織のごとくある意味で完全分業化されたごとくのクラブ運営でなかった昔の会長はどんなものだったのでしょうか?これは決して懐古趣味で語るものではありません。今でも多くのクラブやギャザリングでは、その長となっておられる方を見れば共通点を感じます。それは自ら身を切って周辺にサービスと言ってよいか、自ら頭と体を使って行動していると思います。

 例えば、イベントでは先頭に立って参加者や来場者への対応とかクルマの交通整理をしているとか、会報などでは、単なる自らの戯言を発信するよりも、会員スミズミまで気配りをして意見を吸い上げ、それは決して他人任せにはしない事です。

 おそらくこのような話を現在のクラブの中で意見したら一笑にふすかもしれません。だから (昔は) 二年も会長をやれば、そろそろ、次の人へと、これも自然にクラブ全体でガバナンスがしっかり効いてたと感じます。残念ながら、これはある時期に崩壊させてしまったと分析します。

会長のガバナンス含めて、どう育むのか?

 組織が大きくなれば、その長は全体を掌握するために、いろいろな担当や係をつくって、マネージメントする、一般企業や大組織ではそうかもしれません。しかし趣味のクラブにはどうかと感ずる部分であります。面倒臭いルールは必要ないと思います。「クラブ立ち上げ」の末尾に書いた通りです。

 では会長のガバナンス含めて、どう育むのでしょうか?

 会長自身の資質もあるでしょうが、多くは会員によっても育まられるものと考えます。すなわち会員の鏡が会長であり、またはその逆、すなわち会長の鏡が会員そのものと考えます。これは一般の企業などの文化をみれば一目瞭然です。

 会員の気持ちを小まめに汲みとらねば、すなわちそれは会話がなければ何にも判らない訳で、会員の思いは伝わらないでしょう。それは総会などイベントだけでのコミュミケーションでは機会を失うものです。総会での会長の想いは、それまで一年間、総会に来られない多くの人の想いすべてを含めて日々の蓄積を総合したものであると感じます。それは残念ながら、会長となった人しか解らず、多くの役員でも不可能と思います。

 そうする事で、すなわち会員と普段から直に接して会話をすることで会長は自然に育まられるのではないでしょうか?すなわち、会長は会員に育てられるというもの大きな部分を占めるものと信じます。それは他人 (例えば、支部長などもろもろの会則上の係) を通してでは難しく、要は直接であるべきで、それが組織の長の役目と思うものです。またそれは傀儡や単なる便宜上の象徴であるべきではありません。そのようなことができる資質が会長に必須と考えます。

 つまり、具体的には古典的ではありますが「頭と体を使え」ということです。そのようなことが希薄になってきた、あるいは過去のものになってしまったと分析しております。また、そんなすることも無く、何かが欠けたまま組織が何となく機能するようになってしまったと分析します。

善人が考えるガバナンス

20170404 Network Footwork copy

 とにもかくにも、(コンテッサクラブ程度の)会長であれば、会員一人一人の顔が見えるあるいはどんな方なのかを理解していることを望むものです。また会員一人一人、会長がどんな人物なのか、どんな者なのか身近に接して肌で感じることも必要であります。それは雑誌やネットを含むメディアなどを通してなどでは肌感をもって伝わりにくいものです。生で会話できることを誰しも望んでいるのが本当の状況であると考えます。それが善人が考えるガバナンスであると信じております。

 以上、旧い時代の人間のコメントです。ソーシャルネットワーキングなどネットワーが発達した昨今ではクルマのクラブなど運営や形態が大いに変化しているのも事実です。上述の遥か彼方の過去の経験は化石化しているかもしれません。ただ、ソーシャルメディアなどは目的ではなく、手段としてのツールであることも事実でしょう。しかし、ここのところな何人かの皆さんとの話しで思うことは、重要なことは顔が見えるということが肝でしょう。それは最近はデジタルな「ネットワーク」だけではなく、古典的でもあるアナログな「フットワーク」も今だ必要と感じた次第です。

 最後に、組織にも色々ありますが、例えば、企業、法人 (あるいは法人格) とも表現します。定義上、もろもろ難しい説明があるようです。つまるところ、「人」が付く訳て、そこには「人格」が存在するのだということです。すなわち、「企業は人なり」のように企業も人格の上に成り立つというものです。企業ではないものの小さな組織、愛好家のクラブにもそれなりの「人格」も感じるものです。今回の何人かの皆さんの会話を通して、このように思いました。

(Consolidate - 2017.712 from Blog)


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