毎晩、眠りに入る前にベットの中でちらりと見る書籍、ここのところ旧いCG誌をフォーチャーしてます。これで何回り目か判りません。
しかし、記憶にないあるいは目にしてない記事に遭遇します。実に新鮮です。
その一つが、1971年 (昭和46年) の10月に日野の乗用車の新車登録、一台がデータにあったのです。これは今まで感知してなかったことです。
二つ目がS..K (小林彰太郎) さんの “OLD CAR” のコラムに、1ページ割いて福沢駒吉さんの1929製位デューセンバーグ (Dusenberg) 書かれていたことです。戦後は複数のオーナーに渡り、記事は昭和30年頃の米軍人が所有されていたことが書かれていました。
福沢駒吉さんはボデーなしで輸入されたようで日本人の手でボデーと造ったようですが、米軍人が出来が悪いということ取り去って、そのまま米国に持ち帰ったようです。その後は、ヨーロッパでボデーを架装したようでが今はどうなっているのでしょうか?
実は、本サイトの「日野の夢(ロマン):コンテッサに託して、2.1 原点、星子イズム」に日野自動車との関連を記述しました。旧くはオールドタイマー誌の1993年10月号 (No.12) に執筆したものです。日野の昔のストーリーを思い出し、懐かしくなりました。また、新ためて勉強になった次第です。
ご参考:トヨタ博物館 - 「華麗なるオーナーたち 4 その後のデューセンバーグ社 (まとめにかえて)」
==> https://www.toyota.co.jp/Museum/data/magazine67/magazine67_7.pdf
この資料を見る限り、確かに米国人が日本製のボデーを捨て去ったのを理解できます。