2016.7.31:私的耐久 (その2)
この日は、金沢クラシックカーミーティングにエントリーしました。場所は、日本自動車博物館の駐車場です。
予想はされてたものも、晴天のもと実に暑い一日でした。持参の非接触デジタル温度計で炎天下の路面は60度越え。当サイトオーナーは許可を得てコンテツ後部に持参のタープテントを設営し、人車共々の日陰を設けました。テント下の路面は35度と穏やかな風と共になんとか年寄りが熱中症にもならず1日持ち堪えれるものでした。
イベントは隣り合わせたデロリアンのオーナーさん達とテント下でクルマ整備談義、また特に軽自動車など小排気量エンジンの皆さんと補機類のパワーロスを避ける工夫を実機を前に大いに盛り上がりました。
一方、見学者の皆さんはどうでしょうか、暑さでしょうか、多くは無言、ただただ写真を撮りまくり、室内にカメラを入れても何の声がけも無くと、会話も全く無く一般のイベントととは異なったフィーリング’でもありました。皆さんは無言でそんなに写真を撮ってどうするんでしょうか?オーナーと会話することなく何が理解できるのでしょうか!!!
さて初めて参加の金沢クラシックカーミーティングはどうだったでしょうか?これ暑さのせいでしょうか?特段、何のドラマもストーリーもない、結果的に感動もないと、これは当サイトオーナーだけの印象だけではないと思います。
そんな中、救われる話が一つ、印象的だったのはお一人の見学者でした。この人抜きでは500キロも走って遠い千葉からの参加は無意味だったでしょう。
2016.7.30:私的耐久 (その1)
石川県小松市へと往復1,000キロ余り、事前に近所の旧車友人に話したら、その距離そのものが旧車にとってレースだと、折しもこの日の7月30日は鈴鹿8耐、ということで勝手に『私的耐久』としました。
往路は、なるべく人車に負担を少なくと、直近の外環三郷南ICに入り、首都高、調布、八王子、そして松本ICへと向かいました。その後、国道158号線で念願の長野&岐阜県境、標高1790mの安房峠 (旧道) 、白山スーパー林道を利用し、JR小松駅近くのビジネスホテルへと、ある意味で千葉県松戸市からはほぼ直線コースです。実際は安房峠&スーパー林道ではギア比が合わずほとんど1速だけでした。
松本以降は涼しいと思ったのが大間違い、飛騨は33度越え、スーパー林道の標高1450mの三方岩駐車場 (三方岩岳) のトンネルを超えた石川県側、眼下の雲の下に降りたら昔の最悪コンディションのラリーシーンの有様、豪雨、道路は川如く、崖側から滝のような水、反対側車線を走行、周辺の山々はあちこちに滝が出来てました。地獄絵にも思える時間でした。しかし、平地近くになり一つのトンネルを過ぎると道路は乾いてました。その後の小松市への道のりは33ー34度、100%と思われる湿度と酷なものでした。
さて、そんな往路でしたが、途中の休憩ポイントでは素晴らしい出逢いがありました。安房峠ではスーパーカブ3台、三人の若者、今朝零時に栃木県の茂木ツインリングを出発し、これから富山、新潟、福島回りでツインリングへと24時間で1,000キロを下道だけの走行、何十台か参加のプライベートの耐久イベント、先行組はすでに安房峠を通過とのことで、この三人組は遅れ気味のようでしたが、その後の結果が気になります。また、スーパー林道後の道の駅、瀬女 (せな) でも整備学校卒、今は看護士の若者とも1時間ほど話が弾みました。いずれも大いにエネルギーをいただきました。
2016.7.28:シャルル・ドゥーチェの空力カー、SP66 CD3
毎日届く、Hemmings Motor News、無料ですが実に有益なクルマの歴史の情報が毎回編集されています。7月26日に号には、“One of three Peugeot-powered CD Le Mans racers receives FIVA Preservation Award” と、あの伝説的なシャルル・ドゥーチェ (Charles Deutsch) プジョーエンジンの空力カー1966年のルマンカー (CD Le Mans racers) 、SP66 CD3台の内の1台、#52号がFIVA (the Fedération Internationale des Véhicules) のオークションイベントで Preservation Award (当時の状態をそのままに維持しているクルマ、レストレーションされたクルマ以上の価値が認められる場合多くあり) を得たと記事がありました。
当時のルマンのクルマはこのようにちゃんと残すという努力に敬意をするものです。この#52は、 l’Aventure Peugeot Citroën DS で管理されているようです。#53は通称ルマン自動車博物館 (Le Musée des 24 Heures - Circuit de la Sarthe) で保管されています。#51についてはあまりデータは無いようですが、1966 24 Hours of Le Mans にちゃんと足跡を残しています。ちなみのSP66 CDの空力を示すCD値は、驚異の0.12の様です (Panhard Le Mans: The Dyna in drag) 。似たようなフォルムの1969 ダッジ チャージャーデイトナ (1969 DODGE Charger Daytona) が0.18、2012年のテスラ モデル S (TESLA MODEL S) は0.24となってるようです。取り止めな無い話でした。
2016.7.17:ビギナーズジムカーナ in 筑波 2016年第3戦
今年の2月に清水寺から飛び降りるように決意したビギナーズジムカーナ、今回は第3戦です (ビ筑:Zummy Racing Familiy) 。
暑い季節にこのビ筑の場で “としより” 約一名が熱中症とやらで犠牲者となる訳に行かないので自衛のためにタープテントを購入して設営しました。朝は雨もチラホラでしたが午後には暑い太陽が顔をだしました。
今回はマフラーを変えたことで、キャブのセッティングを変えて挑みました。しかし、発進&加速でかぶり気味の結果となりました。2本目の前にIJ/MJ/AJ共にワンレベル下げました。一応その効果はありましたが、抜本的に考え直さねばと感じました。
3本目、4本目とリアの空気圧を徐々に調整を試みました。これは正解のようで、尻の流れがスムーズになりました。本車の今後の参考データになります。
曲がらない&進もうとしない180度ターンは今回、クラッチ&アクセルオフで流すことをトライ、この方が足に負担がなさそう、これを今後、もう少し煮詰めたいと思います。
などなど、自分なりに色々と収穫だった1日、ようやく、自分でスクラッチから組み上げたクルマの性質が少し分かってきました。
現代のクルマが中心な場所にこんな旧いクルマ、遅い、見せ場のないエントラントです。心温まる主催者ならびにエントラントの皆さんに感謝します (参考:勝率を上げる整体師) 。
2016.7.14:パリ祭の前夜際に、ルノー参加者無料招待(1960年7月13日)
今日、7月14日、フランスではフランス共和国の成立を祝う日 (Fête nationale) です。
日本でその昔から “パリ祭” と名付けられており、フランスの趣旨を拡大解釈あるいは利用してのフランス大使館も後援しても日本版 “パリ祭” が開催されているようです。
日野自動車もルノー4CVの日本での展開・発売以来、多くのフランスの行事に関わっていたようです。その一つは当時にもあった日本版パリ際でしょうか、 “東京パリ会” だったようです。
その会場に日野ルノー4CVで乗り付けると無料招待とまことに粋な計らいがあったのです。当時の日野の幹部はフランス文化&フランス語を理解しており、おそらく日野ルノー4CVオーナーも大いにフランス文化&フランス社の味付けに傾倒していたと推測するものです。
一つ、思い出しました。90年代の前半、縁あって、日野自動車がルノー公団と4CVのノックダウン&国産化を進めた当時の役員さんとお話しする機会がありました。その際、東京都下日野市の本社の中のゲストルームで手厚いフルコースのフレンチディナーが設けられました。それはルノー4CVで始まった技術(ソフト&ハード面)の師としてのフランス文化に対する感謝の念を継承する意味とお話しいただきました。儀式とも思えるこの奥深い光景は今でも忘れることは出来ません。それは若輩者にとって「文化」を感じさせるものでした。
(右上の資料は、1960年8月1日発行の “日野しんぶん” からのものです)
2016.7.10:今日は選挙日、思うことは...
今日、7月10日 (日) は、参院選 (第24回参議院議員通常選挙) の投票日です。選挙権が18歳に引き下げられた歴史的な選挙でもあります。最近の選挙はお上の指導なのでしょうか、政党間の議論がメディアでもあまり見られません。また、野党の数があまりに多く、それぞれを勉強するにもまったく大変であります。そんな中ですが、国民と一人として投票して精一杯の意思表示をしようと思います。
しかし、日本は世界最大の借金を抱えている訳であり、選挙を何度繰り返してもその改善は一向に見られない状況です。お上はうちでのこづちの如く、国債を発行し続け、毎年の予算を立ててしまいます。そのうちでのこづちの金はどこから来ているのでしょうか?また税金の使い方もしかりで多くの無駄な使い方も指摘されています。さらに税金を自分のふところに入れてしまう非常識な輩も絶えないのもまったくの悲劇であります。
そこで何時も思い出し、時折、拝聴するのがYuTubeの “本田宗一郎が怒っている(行政改革)” です。日本の借金が顕著になりつつあった1982年6月19日に埼玉県本庄市民文化会館にて収録された本田宗一郎さんの貴重な講演です。しかも国の借金の問題や子供の教育を実に明快にお話しされております。今の政治家&お上にはぜひ拝聴いただき氏の言われていることを肝に銘じてもらいたいものです。
2016.7.8:コンテッサの墓場
あまりよろくないキャプションです。しかし、この写真をみるたびにそのような言葉が浮かびます。
時はいまから30数年前の1983年、場所は我が家から徒歩10分ほどのところでした。これら7〜8台ののコンテッサは1970年前後からこの中古車販売の店にありました。その当時は実に綺麗なコンテッサでした。しかし、動きがない販売状況で徐々に朽ち果てて行きました。その後、何時頃かは定かではありませんが、コンテッサを含めすべてのクルマと事務所の建屋が消え去っていました。
そして2014年のまつどクラシックカーフェシティバルで、「コンテッサクラブに入っているのか?」と、その方はこの写真にあるコンテッサと保管部品すべての引き取り面倒をみたとか豪語しておりました。
2016.7.3:ホイールのポリッシュ&ペインティング
長年、目論んでいたホイール (アメリカン・クラッシク風?) が現実になりつつなります。数日前に知り合いのガレージのプロフェショナルな大型のサンドブラスをお借りして4本クリーンアップしました。
そして次の工程はリムやセンターなどのポリッシュです。粗目、中目、細目と根気良くポリッシュです。基本的なポシッシュしておけば、後は使用過程でいくらでも綺麗にすることが可能です。
スポークのペイントの色が楽しみです。基本的にウレタン二液でサフェーサ、色、そしてクリーヤで結構手間と金の掛かるプロセスです。
全くの素人ですが、一つ一つ、慎重かつ大胆に進めることになります。
2016.7.2:再度、ピニオンシール
今日の午後、近所の友人、SRオーナー氏が来訪しました。
先日、ピニオンシャフトとドライシャフトのオイルシール不良によるにじみを聞いていました。その対策としてそれらのシールが部品屋に到着したとか、その足で我が家に寄ったようです。
そのSRのピニオンシールを見てびっくり、これコンテのミッションのデフサイドのオイルシールとそっくりではないかと直感しました。早速、ノギスで計測すると実測で外形は76ミリ、内径は44ミリ程度とこれは行けるというサイズです。ただし、厚みは12ミリと、コンテッサのSB45769の9ミリに比べて厚めです。奥行きから見た重要なリーップシールはホボ同じ位置、さらにSRのものは埃除けのリップがついています。
と、言うことです。これを見て勇気ある方は試すなりしてご意見をお寄せください。このシールは多くの日産車に使われているようです。品番は、38189-P010Aです。以下をご参考までに: