組織が大きくなれば、その長は全体を掌握するために、いろいろな担当や係をつくって、マネージメントする、一般企業や大組織ではそうかもしれません。しかし趣味のクラブにはどうかと感ずる部分であります。面倒臭いルールは必要ないと思います。「クラブ立ち上げ」の末尾に書いた通りです。
では会長のガバナンス含めて、どう育むのでしょうか?
会長自身の資質もあるでしょうが、多くは会員によっても育まられるものと考えます。すなわち会員の鏡が会長であり、またはその逆、すなわち会長の鏡が会員そのものと考えます。これは一般の企業などの文化をみれば一目瞭然です。
会員の気持ちを小まめに汲みとらねば、すなわちそれは会話がなければ何にも判らない訳で、会員の思いは伝わらないでしょう。それは総会などイベントだけでのコミュミケーションでは機会を失うものです。総会での会長の想いは、それまで一年間、総会に来られない多くの人の想いすべてを含めて日々の蓄積を総合したものであると感じます。それは残念ながら、会長となった人しか解らず、多くの役員でも不可能と思います。
そうする事で、すなわち会員と普段から直に接して会話をすることで会長は自然に育まられるのではないでしょうか?すなわち、会長は会員に育てられるというもの大きな部分を占めるものと信じます。それは他人 (例えば、支部長などもろもろの会則上の係) を通してでは難しく、要は直接であるべきで、それが組織の長の役目と思うものです。またそれは傀儡や単なる便宜上の象徴であるべきではありません。そのようなことができる資質が会長に必須と考えます。
つまり、具体的には古典的ではありますが「頭と体を使え」ということです。そのようなことが希薄になってきた、あるいは過去のものになってしまったと分析しております。また、そんなすることも無く、何かが欠けたまま組織が何となく機能するようになってしまったと分析します。
(続く)