とにもかくにも、(コンテッサクラブ程度の)会長であれば、会員一人一人の顔が見えるあるいはどんな方なのかを理解していることを望むものです。また会員一人一人、会長がどんな人物なのか、どんな者なのか身近に接して肌で感じることも必要であります。それは雑誌やネットを含むメディアなどを通してなどでは肌感をもって伝わりにくいものです。生で会話できることを誰しも望んでいるのが本当の状況であると考えます。それが善人が考えるガバナンスであると信じております。
以上、旧い時代の人間のコメントです。ソーシャルネットワーキングなどネットワーが発達した昨今ではクルマのクラブなど運営や形態が大いに変化しているのも事実です。上述の遥か彼方の過去の経験は化石化しているかもしれません。ただ、ソーシャルメディアなどは目的ではなく、手段としてのツールであることも事実でしょう。しかし、ここのところな何人かの皆さんとの話しで思うことは、重要なことは顔が見えるということが肝でしょう。それは最近はデジタルな「ネットワーク」だけではなく、古典的でもあるアナログな「フットワーク」も今だ必要と感じた次第です。
最後に、組織にも色々ありますが、例えば、企業、法人 (あるいは法人格) とも表現します。定義上、もろもろ難しい説明があるようです。つまるところ、「人」が付く訳て、そこには「人格」が存在するのだということです。すなわち、「企業は人なり」のように企業も人格の上に成り立つというものです。企業ではないものの小さな組織、愛好家のクラブにもそれなりの「人格」も感じるものです。今回の何人かの皆さんの会話を通して、このように思いました。
(終わり)