たまたまホンダ社の歴史を調べていたら次のようなコンテンツに出会いました。
世界に通用する車をつくるんだ!
全9ページの長編です。その冒頭の1968年の第一号車ライフオフの光景は、日野自動車の1964年のコンテッサ1300の同様な光景をオーバーラップするものです。
このHonda1300もコンテッサ1300同様に世界に通用する乗用車を目指しました。しかし日本国内だけでも、トヨタ、日産に対抗すべくもなく苦戦をしたようです。
本田宗一郎さんの意地と言える空冷エンジンが市場に通用しなかったようです。結果的に環境問題など将来を見据えて水冷でなければならないという社員の要望を答え空冷を取り下げることになるのです。その後のシビックは水冷ロングストロークとなり、そのエンジンがこのHonda1300にも搭載されるようなりました。
ここで思い浮かべるのはこのHonda1300の中にはコンテッサ1300の技術が入っていることです。それはコンテッサ1300販売以前から日野自動車の主要な技術者がホンダに移籍していたことです。エンジンのボアが74mm (その後はコンテッサ1300同様にロングストローク) 、PCDが120ミリ、そしてホイールベースが左右不等長のクロスビーム (Google Images) 、これは当時のルノーR16 (Renault R16) の考えを導入、そしてサスはルノーR16並にストロークが長く柔らかいサスなど、当時の日野自動車の動向をみればオーバーラップするものです。