先月3月にミッションを交換した写真を整理してました。この際ですからクラッチ板も手持ちの新品にしました。
その写真をみると「8-72」と数字を見ることができます。当時のダイキン (現エクセディ) の製造年月を示すものでしょうか?と、言うことは1972年8月製造と理解します。
実はこのクラッチ板、日野のものではなく、コンテッサと同じGR100エンジンを搭載したトヨタブリスカ (日野ブリスカのトヨタ版) カのものです。梱包ももちろんトヨタのものです。たしか70年代半ば近所の部品屋で購入したものです。
当時はガスケットやオイルフィルターなど品質が改善されたトヨタブリスカ用が何時でも手に入りました。1972年8月とは、トヨタはブリスカの製造・販売終了後5年でもちゃんと補給品を製造していたと言うことです。この辺りが製造・販売終了後、日野コンテッサ1300のユーザーに何も出来なかった (むしろ補給品を戦略的に絶った) 日野自動車を考えると今でも複雑な気持ち (恨み節か!) にならざるを得ません。