1963年4月11日:コンテッサ900、サファリ・ラリーに出場


1963年4月11日:第11回イースト・アフリカン・サファリにコンテッサ900出場

50 Years Ago - Hino Contessa 900, 11th East African SAFARI 1963


C2_32C2_33C2_34C2_35C2_36C2_37C2_01

 日野コンテッサ900は、第11回イースト・アフリカン・サファリに出場をしました。本件について、あまり文献がありません。唯一、CARグラフィックの1963年7月号に「個人エントリー」をされました宮本 正之氏(当時、千葉大学園芸学部助教授、日本自動車クラブ連盟理事)ご本にの寄稿がたよりとなります。その内容を分析・要約すると以下のようです:

  • Safari規約 B  class (850〜1,000cc)とし日野コンテッサと定める。理由は、B クラスは競合多く、VWが常勝、C クラスは、Simaca、Ford Angolia、DKWなどでコンテッサでも戦える。
  • 1963年、年明けから車両改造を開始、1月27日に横浜からO.S.Kライン、第11東西丸にてモンパサ向けに。
  • 3月12日、モンパサからナイロビ入り。4月10日まで、登録、練習走行、車両改造など。
  • 4月11日、午後6時34分スタート。およそ600マイル後、翌朝の7時50分ころ、ギヤボックス破損で競技続行断念。

 以上、簡単なまとめです。この個人出場に対して、日野自動車は、サービス・エンジニアに倉本氏をアサインし、派遣させたこと、また、悪路走行の訓練に工場予定地の場所を提供。現地、モンパサで引き取り、手配などが記載されております。反省も語られており、宮本氏は「三速コラムのミッション」に苦労されていたようです。

 このラリーへの日野自動車の関与はどの程度であったかは目下調査中ですが、この翌年、1964年のサファリ・ラリーに、サポートカーを含む5台の待望の4速ミッションをもったコンテッサが出場するに至りました。5台の日野コンテッサ900(1台のサポート車含む)、サファリの覇者、エリック・カールソンの支援を受けてサファリを熟知した現地のドライバーを配しました。もちろん、事前に現地の調査・走行を担当役員自ら進めておりました。

 先般(2012年6月)、「悠久のサファリ」というムック(Rally & Classics Vol.06)が出版されました。しかし、誠に残念ながら、唯一、日野自動車のみが欠落しておりました。おそらく制作者のおおいなる調査&知識不足と推測します。日野自動車は、今日、南アメリカとなったダカール・ラリーではカミオン部門で参加をしておりますが、日本のモータースポーツの黎明期の50年前に,日本車初(他に日産&いすゞ車も)として、コンテッサが挑戦していたことを記憶にとどめたいものです。

参考文献:

From CD 196307

(SE, 2013.5.6, Original)


本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて) 。
Any Comments to here would be appreciated (Please Use your one name)


Your local time is  where you live.

全ての内容は、固有に記載のあるものを除き所有権は当サイトオーナー、江澤 智に帰属します。如何なる形式での再利用、複製、また再配布はくれぐれもご注意ください。
All contents, unless otherwise stated are copyright Satoshi Ezawa. So not reuse, redistribute, or duplicate in in any format or way. All pages are not sponsored or endorsed by Hino Motors, Ltd.
全てのページは日野自動車のスポンサーあるいは裏書きのあるものでありません。
© 2004-2018 HinoSamuri.org  - ヒノ・サムライ研