コンテッサ1300の登場まで (ヒノニュース 1964 OCT No.90 特集・コンテッサ1300より抜粋・編集)
対談 日野自動車工業実験部長/岩崎 三郎
日野自動車販売サービス部次長/東 尚士
昭和39年8月31日、日野自動車では、コンテッサ1300シリーズ三車種を発表した。コンテッサ1300シリーズは、コンテッサ三段ミッションハンドルチエンジと、同四段ミッションフロアチエンジと、同クーペの三車種である。発表に際して、自工実験部長、岩崎三郎、自販売サービス部次長束尚士の両氏に対談を願い、コンテッサ1300の誕生までのあれこれを語ってもらった。
車格の決定まで
東次長 始めにコンテッサ1300を製作開始までの車格決定というか、いわゆるどんな乗用車を製造するかということで、排気量、スタイル、市場調査など、いろいろあったと思いますが、その辺から一つ………。
岩崎部長 コンテッサ900を発売した前年の昭和35年春には、すでに900の次の車種について、幹部間では話が進められていたわけです。
コンテッサ900が発売された時期は、次の車の調査研究から、モデル車を追って、かなりの論議が交され、排気量についていえば700ccも可能性のある車として浮んでいました。
従来、新しい車の開発については、自工・自販の間に完璧な意志の交換があったとはいえないものがあったが、今度の新車については、出発点から、自工、自販両幹部の意見の完全一致という形で、仕事が進行してきたわけで、これは新車開発担当部門としては大きな力となっていたわけです。
1000cc以上の開発を決定
岩崎部長 その頃、トヨタでは、国民車の構想のもとに、新車開発をしているという話もあったのですが、結局、日野では、1000cc以上の乗用車を開発していくという最高方針が決定したのが、昭和36年の春でした。これを裏づけるものとして、欧州車の新車の動向が日本の国民経済の基盤というものが大きな要因ですが実際に、その後の、世界の状況をみても、この方針が、あやまっていないことを裏づけていますし、日野自動車の、トップクラスの考え方が、日本国内は勿論、諸外国の自動車産業の動向を的確につかんでいたといっても過言ではないでしょう。
東次長 販売の面でいうと、スタイリングが第一になるでしょう。
スタイルの決定をめぐつて
岩崎部長 そうです。スタイリングについては、国際性をもたすために、世界一流のカー・デザイナーを物色したわけです。当時若手の一流のデザイナーで、しかも1000ccから2000ccクラスのプロダクションカーをデザインしたがっていた、イタリーのジョバンニ・ミケロッテイ氏に委嘱することに決めたわけです。勿論、すべてをミケロッテイ氏にまかせたわけではなく、二面作戦というか、自工研究部内でも、一応、スタイルについての研究も続けていたわけで、両方のいいところを採ってというねらいもあったのです。
国際的優良児誕生
東次長 そうすると、国際的な優良児を作るということですね。自動車工学よりも、優生学の問題というわけで。
岩崎部長 まったく、その通りです。36年5月、方針決定と同時に、車両の全休計画を始めて、更には、ミケロッティ氏の研究所へ、こちらの考えを伝えたわけですが、ミケロッテイ氏は、11月には、スタイルの、アイデアスケッチを作製して、数種類送ってきました。このとき、ミケロッティ氏が、一番自信のあるものから優先順位をつけてきましたが、そのうちで、これはというものが1300の原型となったわけですが、そのときは、自工、自販の全幹部で、意見を出し合い、決定した返事を、自販斎藤専務と私が同行して、トリノ市にあるミケロッティ研究所へ行ったわけです。私はそのとき、自動車のスタイルを変せんしたアルバムを作っていったのですが、ミケロッティ氏は、将来の生産車は、必ず、今関発しているスタイルになっていくことを力説し、自信があるということを盛んに私たちに吹きこんだわけです。斉藤専務も、私も、ミケロッティ氏の話については、全く同感で、斉藤専務はミケロッティ氏は、若いデザイナーとしては、一流中の一流であることを認識された。
それから、ミケロッティ研究所の仕事が進行するに従って、自工第二研究部からも、若干の技術員を、トリノに派遣したわけでスタイルについては、このようにして出発していきました。
もちろん、この間、ミケロッティ氏との意志の疎通をはかり、お互いの意見を十分とりいれるようにしました。
1300にした理由は?
東次長 エンジンの大きさなんですが、いきなり、1500ccにしないで、1300ccにしたいきさつは、どうなんでしょう。
岩崎部長 これは、車が大きくてエンジンが小さい方がよいということは、経済性の問題で、しかも工場の生産設備や、従来のルノー、コンテッサ900で受けついできた、日野の経済車というイメージをこわさないということと、高速性能との一つの妥協点をもとめ、そして技術的には、1300でも、立派なものが作れる自信があったのです。
技術陣の活躍
東次長 そのため、技術陣が、エンジンの特性であるフラット・トルクなどいろんな問題を解決するために苦心されたでしょう。
岩崎部長 高回転を連続して、オーバーランについては、ベアリングを五つにした、吸排気管を別にして、燃焼効率を高くするなど、思いきった高級な手段をとったわけです。
東次長 というわけは、性能の面で、使いやすく、信頼と、耐久性が基本目標としたのですね。いろんな作業については、二研だけで処理できないと思いますが、仕事の負担はどんな風に。
岩崎部長 この新車の作業開始時期に、活動が本格的に始まっていました。品質保証が、テッテイして行なわれて、900の開発時期にくらべて、はるかに良くなってきていました。特に、自服サービス部が、900について、あらゆる、サービス情報をよく選別され、迅速に工場に入ってきたので、新車開発に、大いに役立ってきたことは、事実です。お蔭で、大分たすかりました。
きびしいテスト
岩崎部長 それから、この車についてのいろんなテストの面ですが、従来の実験課を、部に昇格して、人員と機械設備を強化したということが、一番大きな進歩ですね。
最初は、やはり、コワスことに始まり、またよくコワシました。コワスことが、進歩と、考えてはいましたが、とに角、試験をするということは、まったく大変なことでした。
東次長 工場にテストコースを建設したのはその頃ですか。
岩崎部長 工場に、一周ニキロの100粁以上で走行できる舗装路とそれに併行した、わりぐり石の極悪路などを組合せた悪路コースを道った。そこで、性能のテストを昼夜兼行で実施し、車両の不具合を見つけるように努力したのです。
東次長 私も最近テストコースを見ましたが、悪路を半周しただけで、ネを上げました。このまま走ったら病気になるのではないかと思いましたね。
岩崎部長 実際の道路では、コースにある極悪路は、考えられませんし、無いでしょう、しかし、耐久性を考慮に入れるとあの位の悪路も、走ってみたほうが良いと判断して、テストをやったのです。
東次長 公道というか、実際の国道に出るようになってからはどうでした。
岩崎部長 秘密保持という考ではまず、夜間走行しかできない、それに、夜でも高速運転がやりにくいという点で、本当の公道での数値がでないのには困りました。
濠州でのテスト
東次長 それで、外国でもやったわけですね。
岩崎部長 輸出部から、濠州で車両テストをやったらどうだという話がでて、その理由として、良路、悪路、それに、高温、低温、ほこりなど各試験条件が全部ふくまれており、しかも、発表まで、秘密保持についても、国内より楽であるということで、海外テストにふみきったわけです。
東次長 何カ月位やったのですか。また、成果は。
岩崎部長 正味二カ月です。常時100キロ以上、時には120キロ以上を、数時間連続高速運転などを実施しました。それから、ほこりのことですが、向うの道路で、堅い路面に、フエイダ・パウダーというなれば、女性の白粉のような細かいはこりが斜面に10センチ以上も積もっているところがあり、そこの道だけは、後続の車両が、風のない日はニキロも離れないと、高速運転が、できなかったようです。いろんなことがあったようですが、テストにいった連中も大変苦労したようで、全く御苦労様というほかはありません。
気温は、35度から、5度位の間でトラブルはたった一つ、夜間道路にでていたカンガルーに接しょくということで、大成功でした。
これで、外国を含めて、どんな処でも走行しても、大丈夫という確信を得たわけで、レンジャーも、HE型トレーラもこの間に耐久テストを行なっています。
第一号車誕生
東次長 それはどうも、大変ご苦労様でした。その後、第一号車の生産はどういうふうに。
岩崎部長 実験用の車両としては20台以上を製造して、最終段階で、約40台のパイロットプロダクションカーという生産練習車を作った。これは本格生産のまえに、作業員の教育訓練用で、生産設備の確認などに役立たせました。論品質保証体系をすみずみまで実施したので、現場の人達には、大変苦労をかけたものです。
東次長 工場の生魔障の苦労が、1300で実ったわけですね。
岩崎部長 発売前に、自飯サービス部が中心として工場に常駐し、車を実際に走行したり、分解したりして、ユーザーの立場としての数多くの意見を寄せてもらったことは、大変感謝しています。
東次長 どうも大変永い間有がとうございました。自販売サービス部としては、サービス体制として、初期流動管理を目標に、販売店の協力を得て、ユーザー各位に、更によい車両を提供していきたいと考えています。
(以上)
(SE, 2014.9.1, Original)
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