日野自動車工業は、52年前 (2018年現在) の1966年10月、トヨタ自動車との業務提携を発表しました。その半年前から始まった両社の協議、それには日野コンテッサ1300の市場撤退が予め設けられていました。当時の事情としてこの先の自動車の自由化に対し、日野自工として大型商用車と小型自動車 (乗用&商用) をもっていては体力が到底もたないという判断のもとに、日野は大型商用にだけ絞り、トヨタに援助をあおいたのです。
翌年1967年4月にその提携は実行に移されました。日野工場のコンテッサ1300のラインは事実上その時点でホボ停止しました。コンテッサ1300クーペにとってはホボ2年という実に短い生産期間でした。その年の暮れ、1967年12月をもってコンテッサ1300の歴史は閉じられました。すなわち日野自動車としての生産中止です。しかし、それは世間のニュースにもならず、ひっそりと自ら幕を閉じたようなものです。
しかし、PR活動の一部として行っていた競技イベントは細々ながら予算もとられて参加・活動していました。その理由の一つは、ローンを組んでコンテッサ1300を購入されていたユーザーも多々あり、トヨタとの提携で即刻生産中止ではあまりにも見栄えがよくないと、レーストラックでまだコンテッサ1300を走っているんだという世間体というかプレゼンスを与えたいという理由だったようです。
しかし、この活動も1968年3月には次年度の予算も切られることは明白でした。そんな中、事実上、推進したのが以下の二つの活動であったと分析します。
◎第10回日本スポーツカー富士300キロレース大会 (JAFデータ参照)
ツーリングカーレース部門、30周 129km
富士スピードウェイにて1968年3月24日に開催、コースは左回りの4.3km、主催はNACです。コンテッサの参加は2台、所謂ワークスドライバーである山西 喜三夫さん (JAFデータ参照) 、そしてもう一台がプライベータの須永 諄さん (JAFデータ参照) 、共に軽量ボデーのコンテッサクーペ “L” でした。
ワークスの山西選手ドライブのこの個体はロサンゼルスのチームサムライで米国西海岸セダンレースの1967年シーズン向けに開発されたものです。しかし、西海岸でのレースプログラムもトヨタとの提携ですでに消滅し、日本に帰国し、日本のコンテッサユーザーへのPRのために国内レース参戦となったのです。
山西選手の予選タイムは1分57秒24、当時のワークスミニには若干劣るものの新参者のカローラにはまだ太刀打ち出来たようです。
結果はクラス6位、総合13位と時代も変わりつつある環境の中で立派な成績で憂愁の美を飾ったと個人的には考えております。しかし、こんなニュースも当時の日野では何らPRもできない環境であり、実に寂しいものです。
◎第1回東京レーシングカーショー (1968年3月9&10日、晴海貿易センター)
当時の資料によると「オートスポーツを楽しむ会 (会長:石原慎太郎) 主催とあります。当時のロンドンレーシングカーショーなどと同等の内容を試みたようです。現役レーサーの全てがこの場に集結したようです。実に夢のようなイベントだったのではと想像します。
その場に2台のコンテッサ1300クーペが出展されました。一台は2週間後の上記の富士300キロレースに出場することになるコンテッサ1300クーペ “L” (軽量ボデー車)です。日野のドライバーであったロバート・ダンハムさんの手で出展されました。
もう一台は当時のレギュレーションのグループ7に改造された通称:コンテッサ7でした。こちらの個体は1966年10月の米国西海岸レースのL.A. Times GPのセダンレースでクラスウインを勝ち取り、その後、年明けて1967年1月の 全日本自動車クラブ対抗レース大会でもクラスウインを得たものです。
国内レースに上記のクーペ “L” と共に国内参戦をして、このレーシングカーショーを前にしてグループ7仕様になったようです。この個体も第10回日本スポーツカー富士300キロレース大会の本戦にダンハムさんのドライブで参戦しました (JAFデータ参照) 。
以上、当時の状況を分析・整理すると、この1968年3月が日野自動車として日野コンテッサ1300による最後の競技活動であったと分析しております。今月はコンテッサファンにとっては記念すべき50周年の月であります。
もちろん、この後も上記のドライバーの皆さんによるプライベータとしての活動が続きます (別途、記述予定) 。
また、この第10回日本スポーツカー富士300キロレース大会と第1回東京レーシングカーショーに登場のコンテッサ1300クーペ “L” は当サイトオーナーが1976年以来所有の愛車であり、今日に至っております。
今でも当時と同じように改善&改良を鋭意続けております。見てくれは当時を保ちつつジムカーナなどを通じてつつましく人車共に足腰を鍛えております。
(SE, 2018.3.21, Original)
【注】本シリーズの内容は、本サイトの各ページ同様に当サイトオーナーの40年余りの情報収集
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