パリモーターショー、いわゆるパリサロン (Paris Motor Show) 、毎年はホボ10月1〜16日前後に開催されてます。日本語でもメディアを通じて紹介されています。毎年も最先端かつ魅力的なクルマたちがデビューしてるようです。
2016年の今から遡ること50年前の1966年に日野自動車はコンテッサ1300をこの第53回パリサロン (PLAN DU SALON DE PARIS 1966) に出展しました。1964年9月末の第51回から3年連続のコンテッサ1300にとってのパリサロンでした。
当時の現地の情報をもって史実検証するとコンテッサ1300hは3年の年月を経てフランスでのホモロゲーション (型式認定) を得ました。いよいよ代理店 (E. DUJARDIN S.A.社 末尾にプレス資料添付 ) を通じオランダ製 (CKD) の車両を販売展開に向かっていた頃です。しかし、2週間後の1966年10月半ばにはトヨタ・日野の業務提携へと、この契約条件にはすでコンテッサ1300撤退が前提条件となっていたのです。何とも悲劇を感じるものです。
しかも、この年のパリサロンには、Michelotti Studio・Alpine enngineering・日野自動車合作 (1964年2月契約締結) の日野スプリント1300GT (wiki参照) も参考展示されていたようです (右、業界紙切り抜き参照) 。
以下の会場の配置図にはHINOのロゴが明らかに見えます。その左にはOSIとあります。これは末尾の当時のCG誌にあるように、OSIの隣にコンテッサ1300が縦書きの日本語の看板とともに鎮座していることが判明できます。
いずれにせよ、この66年のパリショーには以下の図から見る限り日本のメーカーは見当たりません。如何に当時の日野自動車が欧州市場に肝入れをしたいてかを物語るものです。
(SE, 2018.3.24, Original)
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