日野コンテッサ1300の冷却ファンは、後方から空気を吸い、ラジエータを冷やし、エンジンルームを抜け、さらに排気系を含むエンジン自体の熱を外に排出すると言う、独特の構造になっており、そのために強大な冷却ファンが装着されている。それがどんなものであるか写真とともに紹介する。
(1) 多くのコンテッサにある標準的なファン
(2) サイズ的には初期の大型なファン (但し、これは同サイズの逆ピッチ)
(3) (1)の標準的なファンの逆ピッチ・バージョン
(4) (3)のものを半分の3枚にしたもの
(5) (4)をさらに軽量化を僅かながら試みたもの
(6)番外的な超小形バージョン (逆ピッチではない)
次の2枚は大きさの比較である。右の赤いのは一般に装備されたおよそ直径 350mmの改良型である。左は最初の設計であったおよそ直径 390mmの巨大なファンである (写真のも逆ピッチであるが基本的に同じサイズ)。形状も大きく異なる。密封型のエンジンルームの熱を如何に後方吸入のラジエータ含めて、冷却し、クルマの進行方向と逆のエンジン前下の吐き出すためにかなりオーバーな設計をエンジニアに課した結果と推測する。発売当初、後方のあるラジエータの冷却の大丈夫かといった疑問に、日野は「夏の35度を超える熱さでもオーバーヒートはしない」と豪語していた。それはこの巨大なファンによるものである。ただでかければ良いかは、エンジニアのエゴかもしれない、世間の評価はそうは甘くなかったのだ。
初期のGR-100エンジンの生産ライン。飛行機のプロペラのような大ぶりなファンを背負っている (米軍基地のC130の編隊のようにも見えてしまう) 。今、残っているコンテッサのGR-100エンジンには多くは違和感を感じかもしれない。
さすがのエンジニアも過大なファンに気がついたのかもしれない。あるいは市場のユーザーからの声、すなわち異常とも言えるファンの騒音だったのだろう。以下のように、直径で4cmも小形にし、形状も大きく変更した。もちろん、周辺の部品も変更となった。プーリーも変更し、結果的にファンベルトは1インチ長いものとなった。所謂、A48からA49サイズとなった。
シャシーナンバーは、セダン3速車 (コラム) は、PD100-512216以降、同4速車 (フロア) は、PD100-512317以降が、改良型の小形のファンが付いて出荷された。時期的には、1965年夏以降と推測する。また、「旧品消化以降」となってないのですぐにラインに適用されたと視る。と、言うことは相当なる市場の改善要望があった、あるいは販売面に影響があったと視るべきだろう。
参考文献:
- 昭和40年6月4日付け、デーラー・ノート:No.小-02284 (1.10)
(SE, 2012.3.13, Original)
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