コンテッサ1300のディスク・キャリパー
コンテッサク・クーペには国産市販車として最初となるディスク・ブレーキが装着された。当時としてスポーティカーにふさわしい一つの重要なメカニズムを鋭意取り入れた訳だ。
このディスクブレーキシステムはフランス車(ルノー系、パナール、シムカなど多数)で共通的あるいは一般的に採用されていた実績のあったベンデックス社のものである。実際には日本の典型的なやりかたである当時の曙ブレーキでライセンス生産を得て日野に供給された。
当初はコンテッサの仕様に見合ったキャリパーではなかったようだ。おそらくベンデックス社との契約と思われるがルノーなど軽量車(600~800kg、またディスクローターは250mm以上の大径)の設計そのものではなく新たな解釈のもとに曙ブレーキで設計 (あるいは勉強) したと推測する。かなりの時間を経て、剛性不足と言うことが判明したようで、コンテッサの重量(945kgとかなり重い、またディスクローターは223mmとフランス車に比較して小径)に合わせて改善・強化された。この重要な改良型のキャリパーはシャシーナンバー、PD300-102257以降に適用された。
これがコンテッサクーペ用の初期のキャリパー。
曙ブレーキとの設計だろうがフランス車のそれらと比較しても、一見スマートだが如何にも応力の分布に疑問を感じる。それは200kg以上重たいクルマのブレーキングには無理があったと分析する。まずは単に “ディクスブレーキという代物” を装着したクルマだったと言ってもよいだろう。
次が大分時間を経て、フィールドの意見から改善を施したキャリパー。
この写真でも解るように見るからに数段の強化が施されたものとなった。経験&技術があれば最初からこのようなものになった筈だが当時のレベルではまずはコピー品を装着するのが精一杯だったと分析する。これによりフィーリングは格段に向上、“やや本当のディスクブレーキ” と言うものになった。
以下は、日野コンテッサ1300クーペ整備解説書にあるディスクブレーキの解説。鋭い方はすぐにお判りだろう。これは当時のルノーの整備書などにあるベンデックスの図そのものである。キャリバーの背の部分の構造が大いに異なることが明確に判る。これをみれば、曙ブレーキは何故、このような設計が出来なかったのか疑問を感ずる部分であり、これが当時の日本の技術導入の実態なのかということである。また、日野が自社の解説書に、何故このような図をもって解説をしていたかに興味を得る。
参考文献
- 日野コンテッサ1300クーペ整備解説書(CONTESS1300 COUPE)、昭和39年12月1日
- 昭和41年10月5日付け、デーラー・ノート:No.小-0371 (4.1)
(SE, Original 2015.7.26)
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