問題が多かった電磁ポンプ!
日野コンテッサ1300クーペ (1965年4月発売開始) には当時の日本車としてはパイオニアである電磁ポンプが使われました。日本デンソー製 (参照データ:日野コンテッサ1300クーペ整備解説書_2-7_燃料関係) のそれは当時の最新テクノロジーであるトランジスタ制御のものでした。ただ当時のグルマニウム・トランジスタの性格上、熱に弱いという性質を持っていました。それを克服するために、トランジスタを冷却するためにガソリンを利用し、タンクから吸い上げた冷えたガソリンをトランジスタの頭に当て、暖まったトランジスタを常に冷却するような構造になっておりました。また、冷却能力を常時保つためにキャビのガソリン消費量に左右されないよう、つまりガソリンの流れを止めないように、ポンプのアウトプットからトランジスタで熱せられた不要なガソリンはリターン回路を使ってタンクに戻される構造になっていました。すなわち、トランジスタのオーバーヒートを避けようという構造・設計でした。日野コンテッサ1300クーペが,常時、一定リズムでカチカチと電磁ポンプの音が聞こえるのそのためであります。代替策としてのミツバなどの一般的な電磁ポンプにすると、リターン回路はないので、カチカチ音がまだらになり、ある種の寂しさを感じたものです。
この先進的なデンソー製の電磁ポンプは結果的にとんでもない欠陥を持っておりました。それは何時かは必ず動作不能、すなわち機能停止すると言う致命的な症状です。その原因はトランジスタのオーバーヒートにより制御が機能しなくなることでした。規則的な力強いカチカチ音は何とも情けない弱った早いリズムの悲鳴の如くのカチカチ音となります。夏の気温が高い、フロントのトランクルームのフード下にあるガソリンタンクを熱することになる昼間の直射日光があたる、そして致命的なのはガソンンの残量が少ない、これはトランジスタを冷やした後の暖まったガソリンがタンクに戻り、しかし、量が少ないのでタンク自身のガソリンも暖まって、結果的に再循環させたガソリンがトランジスタを冷やすことが出来ないためでした。
これは当時の先輩諸氏の意見は早くて2年もすればその問題は予定していたように牙をむき出したようです。当サイトオーナーの最初の中古クーペも2回目の車検を迎える前の夏、購入直後の1971年の夏に早速露呈しました。それも一度ではなく、何度・場所を選ばずもであり、東名の中でも経験しました。
この問題は一度出ると、トラジスタの性格上、二度と正常になることはなく、濡れぞうきんを当てるとか冷やせば、その場の現象は解決しますが、運が悪くなくともその再現は免れないものでした。その場しのぎの対処方法として知られたいたのは、ドライバーの柄で諭すようにタタかせていただくのが常套手段でした。当サイトオーナーはそれで一時しのぎをしましたが、2年目の初夏、再度、症状が出始めた際には、解体屋で電磁ポンプを購入して交換しました。当時、価格的には500円程度で購入出来るものでした。ただ、相性は様々でうまく機能しなかったものがあったと記憶します。何しろ、日野のデンソーの純正品が運良く手に入ったとしてもその価格は、16,000円 (日野の販売価格) と大変高価であり、それは当時の給料の1/3にも相当するもので、おいそれとは行くものではありませんでした。
問題は解決したのか?
さて、この電磁ポンプのオーバーヒート、日野自動車は解決したのでしょうか?残念ながら、そんなユーザーの懸案事項を解決することなく、トヨタとの提携で、最終的には1967年末、日野コンテッサは市場から撤退となりました。この致命的な問題は1967年の時点では問題として捉えてなかったようで、おそらく、ユーザーにフィードバックはなされてないようです。当時のデーラーノート (1967年末で終わったと分析) にも反映はなされていません。
1975年、PD300クラブ (現日野コンテッサクラブ) 立上げ当時、大きな話題の一つはこの電磁ポンプのオーバーヒートによる走行不能でありました。浜松のベテラン先輩オーナー (ルノー、コンテッサ900、そして1300を所有) の解決方法がありました。氏の方法は電磁ポンプの上部に排熱のためのダクトを設けることでした。これによって電磁ポンプのオーバーヒートは無くなったそうです。しかし、一度たりともオーバーヒートをした電磁ポンプのリスクを回避するものではありません。この方法は氏の友人達も実施しており、浜松グループの数台、このような改造をしたコンテッサ1300を見ました。
ポイントは、日野自動車が解決しなかった、あるいは対応をしてなかった問題に対して、コンテッサのオーナーは個人レベルでこのような努力をし、すでに生産中止となったコンテッサ1300を愛用していたことであります。
実はこのデンソーの電磁ポンプ、当時、日野コンテッサ1300だけではなく、同時期に発売開始になったトヨタの2,600ccのクラウン・エイトにも採用されていました。興味深いかつ重要なことは、1969〜70年 (昭和44~45年、もう少し後かも知れない) ころだったと記憶しますが、当時のJAFの雑誌に、開通したばかりの東名高速のトラブルについての記事を目にしたことがありました。ワースト10のトラブルの上位になんとクラウン・エイトの電磁ポンプがありました。後になって、これを思い出し、なるほどと思いました。
さらに重要なこととして、トヨタ (あるいはデンソー) は、電磁ポンプのオーバーヒートに難儀したのか、後継車種のセンチュリーには新たな改善策を施しました。それはポンプ筐体の中に密封されていた問題のトランジスタの制御モジュールを完全に外出しにして、ガソリンでの冷却ではなく、自然空冷するこでした。電磁ポンプ本体の形状は、コンテッサのものと同様なもので、コネクターを介して、右の写真のような制御回路の入れた筐体になり、底面には放熱版をもって懸案のトランジスタは顔を出していました。これでトランジスタのオーバーヒートを解決されたどうかは知る由にはありません。ただ、このセンチュリー用の電磁ポンプは、コンテッサにとって燃圧が若干高く、プラグはかぶり気味になり、程なくして、時代も進化し、今では旧車定番のミツバのFP-3に交換しました。ただ、燃圧の高い電磁ポンプ本体は捨ててしまいましたが、このデンソーの制御モジュールだけは捨てられず今だ保存しております。
現実的な解決は?
IN WORKING
参考文献:
- 日野コンテッサ1300クーペ整備解説書(CONTESS1300 COUPE)、昭和39年12月1日
(SE, 2015.1.11, Original)
(Added, 2017.10.23)
本ページへのコメント&意見はこちら迄(実名表記にて)。
Any Comments to here would be appreciated (Please Use your one name)